日本に伝世した二体の新羅仏の雄作と新出の新羅仏について(國華1546号要旨)
田邉三郎助
本稿では3体の新羅仏をとりあげる。その1は対馬・海神神社の神体として伝わるもの、その2は五島列島・若松島の極楽寺の本尊、第3が今回はじめて紹介する1体である。各像の伝来についてはさだかにしえないが、前2者は昭和50年(1975)前後に重要文化財に指定されており、新出の像については、昭和18年(1943)2月20日付の『重要美術品等認定物件目録』に記載されている昭和10年(1935)5月10日認定の銅造如来形立像に当るものであることが確認できる。
3体共通して、背面の頭部に円形の、体部に不整形に大きく型持に相当する孔を設け、全容を一瀉に鋳成するのは、新羅の中・小金銅仏に特徴的な仕口である。第1と第3の像は中型自体は頭部と体部に分けてつくられており、技法的にかなり近い関係にある。一方、第2の像は少しく異り、中型は頭部から体部一体で、これに鉄心がとおっている。しいていえば年代的に下ると考えてよいであろう。
面貌・体貌ともに調和のとれた全体感を示す第1の像に対し、第2の像は第1の像の特徴を小ぶりにまとめ、総体に少しく沈んだ趣にみてとれる。第3の像は総体に簡明直截な表現で、さっそうとした覇気が感じられる。新出の像に一時代の初期の、清新の気を感じ、海神神社像に中期の安定し、円熟した趣を感じ、極楽寺像に後期の一種の暗さを感じとれることから、『三国史記』巻12「新羅本紀」の分類にならって、新出の像を新羅時代中代(654〜719)の中程に、対馬の像をその終りに近く、そして五島の像を下代(780〜935)に位置づけたい。この3体の像はいずれも個性味豊かに、しかもそれぞれの時期を代表するようなすぐれた作品である。