研究余滴 十七世紀屛風絵に見る装飾金雲について(國華1550号〈特輯 源氏物語図屛風〉要旨)
佐野みどり
装飾金雲とは、雲の内側に花や小雲などの形を胡粉を盛り上げて作り、全体を金箔で覆うという技法を用いた装飾的な金雲のことである。装飾金雲は17世紀前半の物語図屛風や洛中洛外図屛風に頻出し、17世紀半ば頃をピークに次第に姿を消す。狩野派正系、土佐派正系の作例にはほとんど使用されていないことは、とくに注目しておくべきである。現在確認できる、もっとも早期の作例は、慶長期を下限とする出光美術館所蔵の「源氏物語図屛風」二曲一双である。金雲の内側に菊花と桐花の盛り上げが認められる。ついで登場するのは、東山遊楽図屛風に見られる七宝繋ぎ文を盛り上げで象った豪華な金雲である。これは寛永初め頃の作品である。又兵衛派の「大職冠図屛風」(インディアナ美術館)や岩佐勝友筆「源氏物語図屛風」などでは、さらに瀟洒な紗綾形繋文が金雲全体に象られている。だが圧倒的に数多く残るのは、17世紀第2四半期から半ば頃の洛中洛外図屛風に登場する鱗雲形の装飾金雲である。これらは、金雲の内側に小雲の盛り上げを散りばめ、輪郭部分には丸粒を並べるものである。このうろこ雲型装飾金雲を有する作例の大半は、画家を特定できない絵屋の作品とみなされる。例外は、狩野光信系とされる源氏物語図屛風群であり、これらには装飾金雲が使われている。
装飾金雲は、17世紀初め頃から寛永期に作例を見る<金雲内部に花文を散りばめるもの>から、<七宝繋文や紗綾形繋文など工芸文様的な瀟洒なもの>へと展開し、17世紀第2四半期から半ばにかけて、その流布版ともいうべき鱗金型金雲が非正系町絵師(すなわち絵屋)のもとで、多数制作されるに至ったと推測される。だが、大流行したこの装飾金雲は17世紀後半には姿を消す。それは、17世紀後半の美意識の変容を物語ると同時に、供給側の視点に立つならば、紙師、箔師などと絵屋との関係性の変化、さらに言うならば絵屋自体の変質も物語るのである。