薬師堂蔵 木造薬師如来坐像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨)
小倉絵里子
1軀 漆箔・彩色 玉眼 像高71.0㎝
長野県伊那市 薬師堂
長野県伊那市美篶笠原にある薬師堂の薬師如来坐像は、像内墨書によって暦応3年(1340)に智通が願主となり、仏師性慶によって造像されたことがわかる南北朝時代の基準作である。願主の智通は後光厳帝をはじめ北朝の歴代天皇や関白二条良基の帰依を受け、美濃で立政寺を開いた浄土宗僧である。仏師性慶は鎌倉時代末期から南北朝時代に活動が知られ、前半生では西園寺大仏師として宮廷貴顕に重用された事績が確認されているほか、本像を含め4件の在銘作品がある。像内墨書にはほかに『薬師瑠璃光如来本願功徳経』に説かれる薬師十二大願の第七願や結縁者とみられる複数の人名が確認できるが、伝来については詳らかでない。
本像は通例の薬師像とは異なり、禅定印を結ぶ点に特徴がある。両手首先は造像当初のもので、なおかつ銘記によって薬師像であることが確かな作例としては現存最古例であり、造像背景や図像の受容を考えるうえで興味深い。