覚音寺蔵 木造千手観音立像・木造持国天多聞天立像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨)
奥健夫
3軀 千手観音:素地 像高176.0㎝ 持国天:古色 像高161.5㎝ 多聞天:古色 像高157.6㎝
長野県大町市 覚音寺
長野県大町市覚音寺に伝わる千手観音像と二天王像である。千手観音像は納入品の銘により1179年に当地の武士仁科盛家とその一族を施主として、ビャクダンに擬したヒノキ材を用い、制作中真言を唱え続けるなど厳格な造像作法により造られたことが知られる。このような作法で造られた像は如法仏と称される。本像の造立には各地の霊験寺院を廻り経塚造営の担い手などとしての活動を行った聖が関わったことが想像される。二天王像は持国・多聞天で背中の刻銘により1194-5年の制作と知られ、元来は千手観音ではなく今は失われた阿弥陀三尊に随侍していたと推定される。発注者には仁科盛家かその子盛遠があてられる。その作風には運慶派の特色が顕著にうかがえ、このことは同時点で御家人となっていたと推定される盛家あるいは盛遠が、1192年に始まる永福寺の造営などで鎌倉に滞在していた運慶一門と接点を持ち同派の仏師を起用するに至ったことを想像させる。