海軍は、当時としては世界的にも優秀な零戦を手に入れたことで喜んでいましたが、同時に、後継となる次期戦闘機(烈風)についても考えを巡らせていました。 後継機となる…
第二次大戦時の日本の主力戦闘機が「零戦」であることは広く知られています。 しかし、戦時下において国民の多くは、それを「隼」だと認識していました。 今回はその隼の…
■プロペラ機からジェット機へ1945年8月7日、旧海軍の戦闘機、橘花が初飛行。 飛行機はプロペラを回して推進力を得ていましたが、スピードを追求する中で、既存のエンジン…
gunji_shiru
2023年1月29日 17:35
海軍は、当時としては世界的にも優秀な零戦を手に入れたことで喜んでいましたが、同時に、後継となる次期戦闘機(烈風)についても考えを巡らせていました。後継機となる次期戦闘機(烈風)は開発に紆余曲折があり、結局、試作機が7機のみでした。しかし最高速度627km/h、空戦性能も高く、操縦も比較的容易という当時の日本の航空機では卓越した高性能を発揮した機体でありました。早期に実戦配備されていれば
2023年1月22日 08:39
第二次大戦時の日本の主力戦闘機が「零戦」であることは広く知られています。しかし、戦時下において国民の多くは、それを「隼」だと認識していました。今回はその隼の実力について、ご紹介したいと思います。■隼の実力「隼」は、有名な海軍の零戦とほとんど同じ馬力のエンジンを搭載していましたが、零戦に対して、隼はスピードはやや遅く、構造上、主翼内に武器を装備することができず、初期型は機首に7.7ミリ
2023年1月21日 21:37
■プロペラ機からジェット機へ1945年8月7日、旧海軍の戦闘機、橘花が初飛行。飛行機はプロペラを回して推進力を得ていましたが、スピードを追求する中で、既存のエンジンでは限界に達しつつありました。それを克服するために用いられるようになったのが、ジェットエンジンです。橘花は国産初のジェット機となります。これは航空ガソリンを使うレシプロエンジン機と違い、いわゆる灯油のような質の悪い燃料が