忘れられないMM21での結婚式の思い出
三菱重工大倉山病院に何故か入隊して4ヶ月後に、そんなにも仲良くない澤田ナースの結婚式に呼ばれて、常識的に仕方なく参加してみたよ。
んで、先輩の小林ナースと一緒に電車で式場に向かう途中に小林ナースから、衝撃のエピソードを聞かされたよ。
小林ナースと澤田ナースは仲良しさんで性格は真逆で、小林ナースは面倒見のいい温かいナースで、多分まともな看護学校を卒業した方だと仕事ぶりからは信じていたよ。
小林ナースは、澤田ナースが新郎から借金の保証人にサインさせられていて…何で下車しなかったのかな?
で、式場について新郎新婦の控室に入ったら、妊娠7ヶ月くらいだった澤田ナースがタバコを吸っていて、新郎は怒鳴っていなかったが、ナース一同も怒鳴っていなかったよ。
んで、開始20フン前に会場に入ったら、ここでも衝撃のエピソードが。
看護学校の同級生らが複数いたことはごく普通で、私達職場のナースも一応いたことも普通だが、両親や親戚一同らしき人々が居なかったよ。
小林ナースにそれとなく聞いたら、母親とおばあちゃんから結婚を反対されていたのよと聞かされて、また帰れなくされていたよ。
結婚式開始5分前になり、何故か新郎側の列席者が誰も来なかったが、小林ナースらと和やかに会話していた私は、頭のネジが5本くらい外されていたのかな?
で、司会者をちらりと見たが、穏やかな表情だったが、慣れている感じもしないでも無かったな。
流石に20分経過しても、新婦側の列席者は微動だにしない、異空間だった。
そこでようやく司会者が、新郎側の列席者は皆さん遠方からの列席者ばかりですが、何やら突発的な事故があり、式を始めますと言われて、気にした方が良かったよね?
まあ、小林ナースの涙ぐましいスピーチは良かったが、新婦を幸せにしてあげてくださいの後の、拍手はあったのか無かったのか記憶が無いよ。
看護学校時代の友人らの余興は、確かモーニング娘のハッピーサマーウェディングだった様な気がしたが、それなりに練習はした感じで良かったよ。
こんな豪華な式場での結婚式で、衝撃的なエピソードだらけで、みんな誰も気にしないのかなすら思えなかった私は、多分、横浜の洗礼を受け過ぎた模様。
赤レンガ倉庫とか大黒埠頭の美しい世界観は、サザンオールスターズでのみ癒やされたよ。
さいとうクリニックのさいとうミーティングで斎藤学が、鷲山意思は、骨盤骨折させるくらいのヤバいセックス依存症だと笑っていたよ。
じゃあ、骨盤骨折された被害者を、斎藤学はどこに流したのかな?
まさか、オウム真理教を目指して、たましいのクリニックの院長に鷲山医師にやらせたのかな?
斎藤学なら、まあありとあらゆる裏圧力をかけられるが、骨盤骨折は国内だけかな?
スタッフには刑法犯もいたが、斎藤学に逆らったら殺されるから、三橋順子院長のお給料はどこのシンジケートから流れて来たのかな?
仮に患者に全て生活保護をつけても、捻出出来る金額だったのかな?
やはり、ダルクなどの外郭団体から、集めたのかな?
三橋順子院長は、メンタルクリニックビジネスで医師のお給料が常識的にはいくらが上限かを山口大学は教えたかな?
きな臭いよ、さいとうクリニックマルチビジネス。
生活保護では家賃扶助があるが、上限ギリギリに社宅で二重経理とか、せいじん病院の加藤くんらからも似たような話を聞いたような。
さて、妹はどんな国家機関を装うヤクザに騙されて、遺体はどこに消されたのかな?
アマンド関係者の石塚ともこが詳しいのかな?
まあ、鷲山くんは俺の右腕だと斎藤学が笑っていたが、せいじん病院の野本修司みたいな立ち位置かな?
三菱重工大倉山病院の三石医師は、二階病棟のかなり知的障害の准看護師が高齢者の家族が持って来ていたこんにゃくゼリーを、別の高齢者に渡して食べさせて窒息させていた大事件があり私は休みの日だったが、三石医師らが4階病棟で挿管したらしいが、…。
あとさ、当時の出入りの業者に親の葬式費用の肩代わりをやらせるくらいは三菱パワーだよとか副院長らと笑って話していたが、流石、慶應義塾カルテット、何も言えないよ。
めだかメンタルクリニックにいた森田心理カウンセラーは、山根美幸と言う患者が売春婦ではないが、斎藤学ガールズだよと笑っていたよ。
でさ、保健所への届け出には、森田心理カウンセラーの名前を書いたのは、やはり計算だよね?
たましいのクリニックもね。
七尾のおじさんは、陸上自衛隊に入隊してから精神に異常をきたしたらしい。
おじさんに、何があったのかな?
おじいちゃんは酒量が上がり、おばあちゃんはメタボリックシンドロームの薬をお煎餅の空き箱に死ぬほど抱えていたが、一体いつから残薬の山だったのかはわからないくらいの大量の薬だったな。
これさ、やはり代々の国策だよね?
金沢大学看護学科の精神科病棟の実習で須釜淳子助手が、陸上自衛隊員にはキチガイが多いのよと私の実習患者さんのことを言っていたが、その他の指導はゼロで毎日感想文を書くしか無い精神科看護の臨床実習だったよ。
小学生の私はおじさんが精神障害者だとは知らなかったが、お正月におじさんがお年玉をあげられなくてごめんねと悲しい顔で言っていたが、障害年金と言うか世帯分離&生活保護がついていたらみんな地獄を体験しなくてもよくて、いがみ合わなくてもよかったね。
悲しみしかないよ。
ティーペック株式会社時代のエピソード。
夜の8時くらいに60代くらいの女性から電話がかかって来たよ。
んで、春には待望の孫が産まれるんだよと言っていたが、何だか声が暗めであまり嬉しそうではない。
で、もう少し聞いていたら、その娘さんが幼少期に入院が多かったらしく、妊娠中に風邪気味になり市販の薬を飲んだから、病弱な子供に産んでしまったのかなと泣いていたよ。
私は、何も言えなかったよ。
これはうつ病でも複雑性PTSDでも無いよ。