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「ポスト嵐」という表現に「?」を感じていたら,ニノと相葉ちゃんが答えを出した。[2021.01.02]
昨日はコンビニでたまたま見かけた嵐がバーンっと載っているスポーツ新聞をいくつか購入して,今日の課題・研究の休みがてらに目を通した。嵐のこれまでの歴史がそれぞれのカタチで紹介されていて,アラシックおよびジャニオタにとってはたまらない一面だった。
昨日は嵐目当てでデイリー,サンスポ,サンケイ,報知,スポニチを購入(とりあえずコンビニあるやつ全種買った)。
— KöKiOnO @ Gender×Johnny's(male fan) studies (@KoKi_OnO_) January 2, 2021
年表がついていたり紅白の私服姿があったりで,これで何杯お酒が呑めることか🍺
ボクは友達とジャニーズを語り合いながらお酒を飲むみたいなことは何度かしたことはあるけれど,誰かの家に泊ったりして夜な夜なライブ映像を観ながら寝落ちするみたいなことをしたことがない。あくまで妄想ではあるけれど,でかい新聞紙に一面に載っている嵐年表とそのそれぞれにまつわる写真をツマミにするだけでどれだけ語り合えるのだろうと妄想するだけでも,ニヤけてしまう。
デビューしてまもないくらいの何かのイベントで「入社式」という設定でスーツを着てピッシーとオールバックにしている写真なんかは今回初めて見て,古参アラシックが友達にいないことを恨んだりもした。
新聞には芸能記者からの嵐についてのコメントであったり,大晦日にドーム外へ駆けつけたファンの声が載っていたりと外側からのことも色々と書かれてあった。そのなかでどうしても違和感を感じてしまうコラムがあった。それが「ポスト嵐」という,このワードである。
今回のとある新聞のなかでもそうだし,解散前のワイドショーなどで「ポスト嵐」は頻繁に登場しており,その度にボクはなんかモヤっとすっきりしない感覚を毎回感じていた。
そして年末に彼らのひとまずの有終の美を見て感動し,「もうしばらくは嵐5人を目にすることはできないのかー」というまだなかなか実感にまで辿り着いていない気持ちを抱えながらスポーツ新聞にある「ポスト嵐」を目撃した瞬間に,このモヤモヤはハッキリと違和感へ繋がった。
これを確信たらしめたのは,ニノのライブ終盤の挨拶にある言葉だった。新聞には取り上げられてなかったけど,今まで幾度となく嵐のバックを務めた宇宙SixやMADEのメンバーの名前を出したときあたりに後輩たちへ向けて「嵐みたいになりたいじゃなくて,あなたたちの色をあなたたちのファンに届けてください」というこのメッセージ。
「ポスト嵐」としてよく名前が出されるキンプリや,なにわ,スノストをはじめ,嵐の後輩にあたるグループにはそれぞれの色があるし,嵐はあの5人でしか成立しない。
正月の新聞にあれだけのありがたいコンテンツを載せてくれたことにめちゃくちゃ感謝してはいるけれど,「ポスト嵐」という文言を載せた新聞社はもう一度ニノの言葉を思い出して欲しい。
ただ「ポスト嵐」の育成についてはどうなんだろう。
— KöKiOnO @ Gender×Johnny's(male fan) studies (@KoKi_OnO_) January 2, 2021
紙面には取り上げられてなかったけど,ニノが後輩に向けて言った言葉をもう一度考えてほしいと思ってしまう。
キンプリはキンプリだしなにわもそうだし,Snow Man,SixTonesもみんなオリジナルで違うんだから「ポスト嵐」という表現は改めるべき。
とはいうものの,その新聞社であったりそういった言葉を使ったメディア側に寄り添ったとき「嵐が休止したら,事務所の最前線を走るグループは一体どこになるのか」,もう少し言い方をゲスく(?)誤解を恐れずに言うのであれば「どこのグループが稼ぎ頭になるのか」という思いのもとで,「最前線」「稼ぎ頭」という意味合いで持って「嵐」を持ってきたのだと思う(こういうレトリックのことを換喩という,どうでもいいけど)。
たしかに休止報道がでたときにジャニオタではない母からは「嵐いなくなったらあと誰がいるの」(多分,どのグループが嵐のような立ち位置に立てるのかという意味)と聞いてきたことがあった。偉大にも程があるだけにそう思うのはムリないよなーとも思う。
そのときのボクがどう答えたのか覚えてないけど多分「キンプリとかが稼いでいくんだろうけど,たくさんいるんだし,なんでもいいんじゃない?」ときっとあいまいに答えていたのかもしれない。今聞かれてもどこか1グループを指すのではなくて「全員でやってけばいいっしょ」と答えるはず。
ボクは大学院でジャニーズの研究とかそのファンの研究を学んだりしているけれど,範囲をもっと広く,ポップカルチャー界隈の常識においてボクらの消費行動はますます多様化していって,昔みたいにみんなが共通して楽しむエンタメはどんどん少なくなっていってるという傾向がある(研究しなくても肌身でわかることだけどね)。いまや多くの選択肢があって,けれどそこは決して浅くなくて,熱狂できるほどの深さや何かと共にそこかしこに存在しているという今の世界を「島宇宙」と,エラい学者さんは言ったりなんかしている。
相葉ちゃんが「トップ」という言葉について挨拶のときに触れていたけれど,そんなの誰にもよくわからないし,なにかオリジナル性でもってトップをとればいいんじゃないのと思う。さっきのニノの後輩に向けられたメッセージはカットされていたけど,相葉ちゃんのこのメッセージについては引用してくれてるんだから,
言いたいこととしては,文字通りの「ポスト嵐」は5人以外誰もなれないし,それは他のグループも然り。「最前線」とか「稼ぎ頭」といった意味でいうと,誰が一番稼げて...みたいな数字に出るものはたしかにその1番が浮き彫りになるけど,だからといって与えてくれる幸せに優劣はつけられないし,こうやって総合的に考えてみると「何がトップか分からない」。だから,みんながそれぞれのやり方で輝いて,それぞれのカタチでジャニーズという看板を支えていくという考え方がいいんじゃない? ってことでした。
とはいえ,事務所を最前線で引っ張るくらいの代表グループが次一体どのグループになるのかという意味で嵐がレトリックとして使われているのは分かる。
— KöKiOnO @ Gender×Johnny's(male fan) studies (@KoKi_OnO_) January 2, 2021
ただ,もう時代が時代だし,令和なんだから「みんなで色んなカタチで引っ張る」でもいいじゃない😚
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