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尖るより、大切なこと

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はじめに

「あの人、とがっているよね」なんて、話しがあがることがある。

経済的な先進国で、戦争も今は遠い存在に感じている社会。
だから平凡な人間にならず、「尖った人材」になろう、とか、「尖った人材」が欲しいなんて言われることもある。

自然と、尖る

尖った人に憧れ、人とは違う自分でありたいと盲目に考え、尖った風にする人は、ただのイタい人だ。

本当の意味で成果・実績を出していて、認められた人が尖っていたら、「あの人は、○○だから凄い!」と言ってもらえる。

ただ、何も成していないのに、成功した人の「尖った」部分を真似しても、人から、避けられるだけだ。

よい意味で、「尖っている人」は、意識して尖っているわけではない。「尖っている人」ほど、自分のやっていることが普通だと思っている。

なので、他の人を見て「何で、こんな普通のことをやらないの?」という感覚である。

悪い意味で「尖っている人」は、人と違う気になって、自己陶酔している。他者を見下している。だから、人から避けられるし、当然、何か成功することもない。

よい意味で尖るには、逆説的ではあるが、尖ろうとしてはいけない。

自分のアタマで考え、自分の意志に従い、行動する。行動を積み重ね続けると、それが習慣になる。自分にとっては、それが当たり前で、普通になるまで、染み込ませる。

そして、そんな膨大な習慣の積み重ねが、人があっと驚くようなエピソード・能力・成果につながる。で、結果として人から「尖っている」と、自然と言われてしまう、というのが正しい順番だ。

自分らしさを積み重ねることが、良い意味で、尖った人材になる唯一の方法だ。

まとめ

尖る前に、積み重ねる

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