時代に取り残されている指導教員から受けたよい影響
念願の中国語の研究をはじめることができたのは、博士課程で2人目にお世話になった指導教員のおかげだ。本当に感謝している。
しかし、中国語の研究ができると喜んだのも束の間、なぜか指導教員の思い描く思考の範囲内でしか中国語について語ることが許されなかった。その指導教員は英語学がご専門で、中国語を学んだことはないようだったが、不思議なことに英語のメガネをかけて中国語を見ていた。英語のルールで中国語もなんとかなると言わんばかりだ。したがって、この指導教員にお世話になった3年間、本当の意味で研究の相談ができたことは残念ながら一度もない。自分の考えで突き進むことも試みたが、それも受け入れられず、結局私は途方に暮れる。
そして、研究以外に私としてはどうしてもストレスになることがあった。それは、修士課程の後輩の面倒を見るように命令されるところだった。一応言われた通りにはしたつもりだが、こちらから親切に歩み寄った後輩にかぎって礼儀知らずで最初から最後までタメ口なのも癪に触る。博士に進学する気もなく就職していく人のためになぜ私はストレスを抱えなければいけないのかと思った。自分の学生にいろいろ手伝わせて当然の時代は既に過去のことなのではないかと思うが、時代に取り残されたままの指導教員も存在することがわかって勉強になった。自分はそのような教員にはならないぞと思う。
私は大学非常勤講師になって5年目だが、いまの時代は学生ファーストで、学生を尊重することが第一に重要なことだと言っても過言ではないくらいだ。職場の教職員の意識が昔とは異なることを常々感じている。
ただ、見方を変えると、2人目の指導教員は全ての学生に声掛けをするというスタンスのようにも見えた。私はその影響により、非常勤先の大学で学生とコミュニケーションをとるようになったと思う。それまでは、以前の自分にも他人にも厳しい指導教員の影響で学生とコミュニケーションをとる発想すらなかった。しかし、学生とコミュニケーションをとるようになったことで、学生との距離感がいい塩梅になり自分自身が非常勤を楽しめるようになったと思う。
でも、英語のメガネをかけて中国語を見る指導教員のもとで研究を進めることに限界を感じたので、指導教員を変更せざるを得ないと判断した。そして、これまでにも院生を救ってきた実績ある駆け込み寺の方へ駆け込ませていただいた。。(つづく)