死にいたる病〜本人にとっては〜
人には誰しもそういう時期がある。潮の満ち引き、低気圧、梅雨入り、月経などもそうだ。私の祖母は躁鬱で一度だけ病院の精神科に入院したそうだが、すぐに出てきたそうである。中にいる人たちが本物すぎて居心地が悪かったらしい。
人は誰しも主観を持つ。抽象的な地球を体というレンズで切り取って観測している。主観があれば、価値観は必ず生まれる。隣の席のあの子を目で追うことがあれば、ブゥという音ともに発せられる匂いに顔をしかめることもある。その匂いがあの子のものと分かれば途端に微笑む変態もいるかもしれない。まあ、とにかく人であれば好きと嫌いは存在すると思う。もし、無いという人がいれば一遍聞いてみると良いだろう。じゃあ、私のために死んでくれる?と。
多くの精神病は価値観の暴走で起こる。例えば、私が大学受験の時に第一志望としていた大学に落ちて辛いものと苦いものが食べられなくなり、自室に篭ってキルミーベイベーを見続けていた時なんかは、1日8時間の努力というものに価値を置いていたからである。。。なあ、君。もしかしたら今その程度のことでと思わなかったかい?そして、もし何か今まで、若しくは今が辛い何かがあったら、そっちの方が、、、と思わなかったかい?そんな物には価値なんてないよ。人生ですらも100年経ったら私たちの名前なんか誰も覚えていないんだから。今ムカついたのなら、それを一つずつ紐解いて全部無価値に思えれば本物でなければ治るかもね。本物だと思うならその道を行けよ。行けば(ry
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