ちょうど先日の2024年8月初旬にマニラへ2泊3日の観光へ行きました。フィリピンに行くこと自体が初めてだったので、不安もあったのですが、無事に帰国しました。一人で行っても問題はない感じですが、色々防御策を取っておかないと危ない気がするのでまとめておきます。 夜に空港近くの駐車場を通るときは危険 私がフィリピンに行ったときは夜だったのですが、空港からホテルまでかなり近く、徒歩で5~10分ほどなので、歩いて行きました。後から知ったのですが、空港から近くのホテルまでは直結の
最近日本もかなり暑くなってきました。蒸し暑くて、日中に40度を超える場所が出るなんて、乾季が終わった時のタイやシンガポールみたいです。 私はそんな日本でも、外仕事でもおけっけは剃る必要がないと思います。もちろん、毛がない方が良いという人は剃ったり脱毛したりしていると思うのですが、あくまで趣味の範囲内だと思います。 これが東南アジアに行く際はマストに変わります。おけっけを剃らないとどうなるか、、、私は汗でかぶれて痒くなりました。というのも、向こうでは日中の気温はもちろ
皆と同様に滑車を回し続けている。昨日も今日も、この先ずっと、回せなくなるまで回し続ける。いつから回し続けているのだろうか。昨日はもちろん、一昨日や一週間、もっと前から。もとい、私の滑車が生まれる前からも、この滑車は回り続けているのかもしれない。 滑車を動かすスピードはそれぞれである。早く回そうとするもの、ゆっくり回そうとするもの。回していないものなど、ただ一人もいない。そして、滑車はどうやら伝搬しているらしい。ある滑車は他の滑車の動きを進め、ある滑車は動きを遮るように動く
道で人が意識を失ったように倒れている時は必ず声をかけるようにしている。老若男女問わず。人通りの多い駅で女の人が飲み過ぎで倒れかけたりしたら、一番近いその辺の男が解放したりしてるので、その状況なら声をかけないが、誰も手を差し伸べなくても必ず自分は手を差し伸べる。そうしている。 これには理由がある。それは、大学時代に遡る。当時は、家から大学までバスで2時間以上かけて通学しており、一限に出るときは朝5時に起きる時もあった。 その日は、朝から体調が優れなかった。面倒なテストの
この前一人で上海に行った。2泊3日で貧乏旅行。総額6万円くらいの予算で行ったが、旅行に対する満足度はかなりあった。 その理由の一つが、HEYTEAである。HEYTEAは中国国内で多数店舗があるお茶屋らしい。日本では多分あまり知られていないと思うが、生のフルーツをカットして、すぐにフローズン化した物を提供するという斬新な作り方だった。 私の行った店は、上海郊外のショッピングモールにある店なのだが、店はかなり清潔な感じで、調理場がチラッと見えるような作りになっていた。イ
露店でアイスクリームを買って、店の前で一口も食べられずに落としてしまったら。アメリカでは土がついたアイスを新しいアイスと交換してくれるかもしれない。だが、日本では、おそらく交換できない。 これは、物を購入するときの意識の違いによるからだと思う。アメリカでは、物を購入して使用することによって得られる「何か」に対してお金を払っていて、日本では、物自体をお金と交換しているというイメージがある。 アイスの例で言えば、日本ではアイスに対してお金を払っていて、アメリカではアイスを
エルゴード理論という考え方がある。例えば、私たち人間同士は万有引力で引かれあっているから、いずれ一つになる。もっと言えば、地球にも引っ張られているから地球と一つになる。地球と太陽なんかも、全て引きあう力が働いているから、いずれ一つになる。いずれ全て均一になる。そういう理論である。 私は、大学では数学をしていたので、この理論をチラッと聞いただけだが、私の師は、物理数学をやっていて、物理学的に、途方もなく、宇宙が終わるまで待っても終わらないであろう時間がかかるこの理論は馬
一つリュックサックを背負って沖縄に行った。以前、ある友人と会った際、とある島の酷く寂しい波の音しか聞こえない場所の話をした時に、彼から聞こえた沖縄のヒメユリの塔という言葉が何となく気になっていたからである。 目的地には金曜の朝一番の飛行機で行った。平日で成田発だとかなり安価で行けたので、わざわざ有給をとった。昼前に飛行機が着いたら、すぐにバスを乗り継いでヒメユリの塔へ向かう。初めての場所だが、かなり整備されていて分かりやすかった。 よく晴れた昼の時間にヒメユリの塔に
ふーな ふーな ふな 怪我人だ 柔道場で怪我をした ふーな ふーな ふな 膨らんだ 右肘周りがパンみたい ギーチギチ ゴーリゴリ 骨がなくよ 手術後 ズーキズキ ジーリジリ 肉が裂けて 痛いよ ふとした 瞬間 怪我を思い出すよ ヒュードン ゴリ バリ ヒュードン ゴリ バリ 気絶をしかけて 脱臼もしてるよ ふーな ふーな ふな 血まみれだ 赤い液体が伝っている ふーな ふーな ふな うめきだす 痛みに 耐えれば 朝になる かーゆかゆ ざーらざら 肘の周り 洗えない パーキ
2000年以上前から継承されてきた文化がある。罪人に石を投げるという文化。昔は実際に石を投げているが、今は言葉の石もしくは、文字の石を投げる。 今は私刑での誹謗中傷が目立つが、これは昔から続いていた正当な文化なのである。そうでなければ、我々はこんなに長くこの文化を継承するはずがない。食糧のために家畜を飼う。おそらく、この位の強度はあるはずだ。
落とされたのか自ら飛び込んだかは大した問題じゃない。落ちたのだ。高さ5メートル、その生物の全長のおよそ7倍。落ちた生き物は頭が大きかったから、頭を下にして地面と衝突した。下は硬い地面であったが、頭の骨が柔らかかったせいかボールの様に跳ねた。あたりの喧騒が最初の衝突から徐々に静寂に変わり、最後は悲鳴に変わった。生き物はその後すぐに担ぎ込まれて病院に連れ去られる。安い命、今日もどこかで死に行くひとり。だが、偶然の祝福は起こった。綺麗に切り抉られた頭は丁寧に縫い付けられて、まるで
近所のイオンの帰り道、チャリンコを漕ぐ。凸凹道を過ぎれば平たい道が続いていて、小川の流れる音が心地よい。ふと止まって、奥の苔むした岩を眺めていると、全てを忘れてしまいそうで、半袖の素肌が少し鳥肌立つ。そっから冷蔵品をカゴに入れっぱなしにしていたことをふと思い出して、また平たい道を最初は強く、それからはゆっくりと漕いでいく。途中で牛舎の臭いに顔を顰め、越えて田畑の辺りまで来れば涼しい風の匂いがする。信号待ちで忘れたように夕焼けを見ると、遠くの民家が影になって少しロマンチック。
人には誰しもそういう時期がある。潮の満ち引き、低気圧、梅雨入り、月経などもそうだ。私の祖母は躁鬱で一度だけ病院の精神科に入院したそうだが、すぐに出てきたそうである。中にいる人たちが本物すぎて居心地が悪かったらしい。 人は誰しも主観を持つ。抽象的な地球を体というレンズで切り取って観測している。主観があれば、価値観は必ず生まれる。隣の席のあの子を目で追うことがあれば、ブゥという音ともに発せられる匂いに顔をしかめることもある。その匂いがあの子のものと分かれば途端に微笑む変態も
社会の荒波へと漕ぎ出してからしばらく経った。金銭に余裕がある週末は独り良いレストランでランチを楽しむこともある。休日にコインランドリーなどに行くときは、昨日のままの髭で整髪料さえつけずに行くのだが、相応の場所に行くときは、会社に行くとき同様(若しくはそれ以上)に身だしなみを整える。 この前も、いつものように窓辺の席に座り、ランチの選択を悩んでいると、エンジン音がやたらと大きい高級車が駐車場に到着した。駐車場には2台。私の給料1ヶ月で買った中古の軽自動車と、その車である。
昔、桜並木の下が不気味だと表現した風流人がいた。それは短い小説ではあったが、小説の体をなしていたので読むには少々時間がかかる。今の時代に彼の感性があったのなら一言「桜並木の下はひどく不気味だ」とつぶやくのだろうか?或いはもっとマシな言い回しがあるのかもしれない。 ソメイヨシノはクローンである。今の研究ではそうなっているらしい。春の同じ日に咲き始め、示し合わせたように散っていく。まるで学生時代に刈り揃えられた坊主頭たちのようである。 そんなソメイヨシノも最近寿命を迎え
黒澤明が映画界の福沢諭吉であるならば、HIKAKINは芥川龍之介であり、shamugameは太宰治である。 21XX年若しくはもう少し後だろうか。私は学校でYouTuber概論の講義を受けている。最初の1,2コマは古典YouTubeとも言われる映画作品について簡単な講義を受けた。どれも退屈な上に長ったらしく、言葉も表現も古いせいか面白味はなかった。その後の講義は前期丸々初期のYouTuberと言われるHIKAKINあたりについて講義を受けて、今ようやく現代YouTube