滑車
皆と同様に滑車を回し続けている。昨日も今日も、この先ずっと、回せなくなるまで回し続ける。いつから回し続けているのだろうか。昨日はもちろん、一昨日や一週間、もっと前から。もとい、私の滑車が生まれる前からも、この滑車は回り続けているのかもしれない。
滑車を動かすスピードはそれぞれである。早く回そうとするもの、ゆっくり回そうとするもの。回していないものなど、ただ一人もいない。そして、滑車はどうやら伝搬しているらしい。ある滑車は他の滑車の動きを進め、ある滑車は動きを遮るように動く。自分の近しい人の滑車にはより多く影響して、その輪を辿っていけば、遠くの人に、過去や未来さえも影響しそうである。また、特にすごいものは、滑車に人がいなくてもとんでもないスピードで滑車が回っているのである。そのスピードを受け継ぐ者もいれば、抗う者もいる。それもまた面白い。
今まで必死に回してきたが、ふと立ち止まったことがある。(無論この時でも滑車は動いているし動かしている)この滑車はどこまで続いているのだろうか?無限に見えるこの滑車の先。未来永劫とまではいかないが、果てしなく先まで続いているのは確かだ。
だが、私が滑車と呼ぶものの先は、明かに空転していた。いや、もしかしたら私たちが回していたと思っていた滑車は、あの空転しているように見えるものの力を受けて動いているだけかもしれない。はたまた、あの先は別の何かと繋がっているのかもしれない。もちろん空転しているから意味がないとも考えられる。
だけど、どんなに思考を巡らせたところで、滑車に縛られているものは、予想するしかできないのである。意味があろうと、意味がなかろうと関係ない。回すことしかできないのだから。
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