“多くの人にサポートしてもらい、今が一番幸せ”逆に言えば「ひとりの幸せのために多くの人のサポートが必要」ということ


サポートが、善意でも、仕事でも、ボランティアでも、自費でも、公費でも、とにかく「絶対に多数の協力が必要」ということだ。

いま、障害等の有無に限らず「誰かに助けてほしい」「誰かを助ける余力が無い」ひとがわんさかいるこの国で、ある特定の「不幸な人」を「幸せにする」ために「不特定多数」の「少し不幸な人」の力がたくさん求められる。その特定の人が、状況が、ほんとに極々稀に発生するならまだギリギリやってけるかもしれないが、程度の軽重をさておき障害を持つ人の数は膨大だ。

サポートを受ける人の殆どは、もちろんそれを当たり前とは思わず、日々感謝していらっしゃることとおもう。が、受ける人が感謝しようがしまいが、とにかく相応の負担がどこかしらにかかる、というのは間違いない。
ひとは誰でも誰かに迷惑をかけたりかけられたりしているから、持ちつ持たれつの精神もわかる。
だけど、天秤が釣り合わないだろ?
5与え、5返るから持ちつ持たれつだが、8与え、2返る、しかもそれが連綿と続くのを果たして「持ちつ持たれつ」「平等で公平な社会」と呼ぶか?

本来、ここを解決するために登場するのが行政というものだ。しかし、この国の行政の主題は「自助」と「自己責任」だ。頑張って頑張って頑張ってどうしても無理なら「相談してくれたら頑張り方が他に無いか一緒に探します」というものだ。

国が病むのも当然だ。

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