「政治に不満を持つなんて偉いね」と言われた記憶
昔々。
投票日に友達と会う約束になっていた。彼女は高校の同級生だった。
当時はまだ、期日前投票などなかった。
わたしは朝に投票を済ませてから待ち合わせに向かい、彼女に会うなり「投票してから来たよ〜」と言った。
我が家はずっと家族で投票に行く家(ただし、昨今よく聞く「ついでに外食して帰る」なんてほんわか展開は微塵も無かった)だったので、はやく自分にも投票権が欲しいと思って生きていたし、だから投票に行かないなんて考えたこともなかった。つまり、行くのが当たり前だと思っていたから、別に彼女にプレッシャーをかけるとかアピールとかではなく、ごくありきたりな世間話として共通の話題を出したまでだった。
「そうなの!?たいへんだね!」
彼女は言った。
あれ?ん?なんだ?その言い方…なんか…ちがう、ような…
「え?いつ行くの?」
自分は夜まで遊ぶ気だったけど早く帰りたいということか?と思いながら返した。
「わたしは行かないよ〜(笑)」
え?まじか??…そんなことある??
「え?なんで??」
繰り返すけど、ほんとに、ただびっくりしただけで、非難したとかではない。彼女も別にムッとした様子は無く
「よくわかんないし…行ったことないかな」
と答えた。
ま、まじか…も、もったいねぇ〜!!!その一票を譲ってくれ!!そう思った(たぶん、実際にその一票を買い取ってるのが、ある勢力ってことですよね。わたしに金があれば、たしかにそうしたい。なるほど選挙には金がかかる、と…ふむふむ)
あの日のわたしは言った。
「投票に行かなかったら、政治や政治家に不満があっても言えないじゃん!その為に入れるんだよ!」
そうしたら彼女が言ったのだ
「政治に不満を持つなんて偉いね」
と。
え、偉い??不満を…持つことが…??
百歩譲って「すごい」なら、なんとなくわからなくもなかった。
でも、、え、えらいって、、、なん、だ…?
わたしはほぼ思考停止しかけながら辛うじて搾り出した。
「不満とか…感じたこと無いの…?」
「うーん…わかんないや。考えたことないかも。だから、偉いなぁって」
彼女は成績も優秀でスポーツも得意で可愛くて、特別な金持ちではないけど経済的に余裕のあるお家の子で、優しいご両親とやはり優秀な妹さんに囲まれ、世間が就職難でヒィヒィ言ってる時も「別に就職できなくて困るわけでもないし」とアルバイトしたり、この会話の時には派遣勤務をしていた(その後は正社員になったらしい)。
わたしも実家の脛を齧りヤクザな電話番をはじめとするアルバイトパートで小金を稼いで好き勝手していたけど、立場はぜんぜん違っていたので、なるほど、こういう境遇だと、そんな感じになるのか…と感心して、「へえ〜」とだけ言って話題は終わった。
疎遠になってしまったので、今も行ってないのかは知らない。311もあったし、いろいろ生きてく中で「政治に無関心」であっても「政治と無関係」であることはないと思うようになっていたらいいなぁとはおもうけど。彼女の場合、行くとしても単純に誰かに頼まれたところに入れてるとかありそうかも。disではなくて、ほんとに、興味無いんだろうなってこと。彼女は興味のあることや親しい人に関わることについてはとても積極的、主体的、能動的、行動的な人なので、なんなら投票される側に向いてると思う。
きっと彼女はこんな会話したことを覚えていないだろうな。
このところ、「投票に行きたい、行かなくちゃと思うけどどこに投票したら良いか決められない」って若者のことばかり考えていたけど、たしかに「そもそも興味無い」って場合に、どうしたらいいのかって、難しい問題だよなと、改めて考えさせられた記事だった。もちろん、関心はあるけどどうしたら…という若者の背中にそっと手を当ててあげられるなら、そっちを優先したいところだけど、そういう若者っていろんな「投票させたい」勢力に狙われてどんどん疲弊してそうな気もする。そして疲れ切った先で石丸とかに共鳴しちゃったりするんだろう。
それよりもしかしたら、興味ないって若者にアプローチした方が、有益なのかもしれない。有益って表現は嫌われる気もするけど、上述の彼女が政治家向き資質であるように、政治に無関心な層の中に、物理的に日本社会を背負える人材って沢山いるんじゃないのか。その層がほったらかしにされてるから、いつまでも「投票したい政治家」が少ないのでは?って。
ただ、無関心な人に訴えかけるのってやっぱり難しい。どうしたって説教臭くなるし、でも、大切な話を「教え説く」のだから臭いんじゃなくて説教なわけで、そもそもなんで説教がダメなんだ?もしかしてこここそが教育の敗北の根源なのかも…という気付きも得られた。一部の権力者に不都合なものが悉く「なんか嫌」なものとして根付かされてる。
そこで響くのがやはり「文化」なのかもしれない。音楽とか、美術、そして文芸。
敗北してる教育でも、国民の殆どに識字能力は備わっている。
ただ、先日、最近の中学生が文章を理解できないという話題が出ていた。
文字は読めても文章が読めないレベルまで落ちてしまうと、かなり厳しい。文化芸術で働きかけることもままならなくなるから。
今、どうにかしないと、ほんとうに、取り返しつかなくなりそうで。
他の人がどうしてるのか、もっと意識してみようと思いました。