約束のエネルギー
出かけたくない。先を考えたくない。
誰かと約束なんてしたくない。
時折、風邪をひいたようになる。実際にはウイルス性の何かでないのだが、心で家から出ないぞと決め込む日がある。
せっかくの休日に、一日中パジャマで、何もしない。
気力がない。
消費欲だけがあって、購入しているお菓子なんかを食べ散らかす。動画を少しずつ観る。漫画を少し観る。文字がきつい。
普段なら、仕事に行くまでの間に洗濯をして掃除をして、ベッドを整えて。
筋トレしてお弁当を作ってシャワーを浴びて。
こうやってnoteの記事を考えていくつか書き出して。
そうして職場に向かい、帰宅すればその日の朝の続き。
時間が足りないと焦ることもある。生産することを意識していると思う。
ところが休日、忙しさだけが残っている。
「明日は休みだ、やることがたくさんあるぞ。終わるかな」そう思っている前日の通勤帰り。やることリストなんかを書いてもみる。
休みの当日。それどころじゃなくなっていることがある。
ひたすら消費だけする今日のような日に、明日から二度と出歩けなくなったらどうしようかと考える。
頭も生産に向かない。今日もなんとか文書を組み立てた。
未来に希望を持てることがひとつ、エネルギーになる。
それが私の経験で得た知識。
今、未来に希望を持ってみても。例えば映画を観に行くことを考えても、億劫に感じてしまう。
この感覚はなんだろう。責任感だろうか。誰かに対して約束をすると、その約束まで進まなければいけないから。
けれどそれが人を生かすのだ。誰かとの約束が。
なるほど。生き残りたければ約束をすればいい。
理にかなっている気がする。
私は約束が苦手だ。
自分でわかっている。余計な可能性と選択肢、枝分かれを作りたくない。
約束には破る破らないが発生する。
エネルギーのいることだ。
それでも、これを読んだあなた。もしあなたが人と約束を交わせたなら、その人を生かしたかもしれない。
もしもそれが私であれば、ありがとうを言いたい。
恨んでしまうかもしれない。
けれど、自信がないときは誰かから信をもらうしかないのだと思う。
ちょっと貸し出すような気持ちで約束をしたらいいと思う。LINEを既読にするだけでいいとか、そういうのでも。
抽象的になったけど、今日は私が調子が悪いという話。
私がそういう時に約束を面倒になるといっても、誰かこれを読んでくれた人には、読んでくれた人にとって大切な誰かが思い浮かぶなら、全くの放置以外の選択を検討して欲しいから。
だから元気な人に「相手を構う」「相手を構わない」の選択肢を提示して、今日は終わり。