柿食ふ
柿ってよく食われているよな、と思う。法隆寺だったり隣の客だったり。その二つしか知らないだけなのかもしれないけれども。
中学だったか高校だったか、『柿食へば鐘が鳴るなり』について先生が言っていた。食えば鐘が鳴るのではなく、食べていると鐘が鳴るのだそうだ。どう違うのかよくわからなかったけれど、今は何となくわかる気がする。何となく、っていうのがきっと大事なんだ。
トンネルを抜けたらいつも雪国だったら大変だろう。トンネルを抜けたらたまたま雪国だった。なら素敵だ。
調べてみる。
柿むく手、とか柿むき競ふ、とか柿もぐや、とか他にもあるらしい。食われる以外に剥かれたり捥がれたりしている。でも結局食われるんだろうけど。当たり前か。
猿と蟹に奪われ合ったりもしている。幼い頃は猿はなんてひどいやつなんだ!と憤っていたものだけれど、何度も話を聞くうちに蟹もけっこう過激じゃない?と考えるようになった。『早く芽を出せ柿の種、出さなきゃ鋏でちょん切るぞ』
ちょん切るぞ、じゃねぇよ。
そもそもの始まりが、猿が持っていた柿の種と蟹が持っていたおにぎりを交換すること。で、すぐに食べられるおにぎり+実った柿を猿が満喫して、さらにまだ青くて硬い柿を投げつけられた母蟹が亡くなってしまう。で、仕返し譚。
柿、けっこう大事だよね。
青くて硬い柿も投げられながら『蟹さん。もしもあの時ちょん切るぞではなくトトロのように朗らかに芽を出させてくれていたら、私はもう少し柔らかくなれたかもしれない。こうして硬くなってしまったのはあの時ちょん切るぞと言われたからで、私の中に善いこころと悪いこころが育ってしまった。ああ蟹さん。投げられて、もうすぐ私はあなたに当たってしまうけれど、どうか生きてください。そして丈夫なお子さんを産んでください。私はこうして実っています。きっと毎年おいしい実をつけますから、お子さんと一緒に召し上がってください。』と思っていたかもしれない。
英語だとパーシモンと言うらしい。フランス語だとそのままkaki。
ランダムハウス英和大辞典によると
persimmon:カキの木。カキの実。(バージニアアルゴンキン語の一つ)
バージニアアルゴンキン語が強すぎてパーシモンが入ってこない。