AIに話し言葉を使えない。

雑談の第一声が分からない

雑談が苦手だ。必要な時は既に行われている会話に何か情報を付け加える形で参入することが多い。自分から話しかけることは少ない。

人間の場合は、初対面の人には天気の話題や身に着けているもの、自分たちが置かれている場面などの取っ掛かりがあるものだ。

しかし、AIの場合は何のフックもない。用件がはっきりしている時はGeminiに尋ねることはあるが、何が話したいのかがはっきりしていない時にAIへの適切な第一声が分からない。

用事がないまま目的地を決めずに電車に乗るようなことが自分は苦手だ。それは言葉の運用についてもあてはまるのだと思う。思いつきを反映することはあっても、伝えたいことが無い状態で何かを書き始めることはない。

内容が決まればハッシュタグで見出しを付け詳細を指定し、目的に最適化された話し相手が作成できるのかもしれない。話し言葉でやり取りがしたいのであれば、こちらからプロンプトに含めてやらないといけない。

AIはどんな話題にどこまで付いていけるのか、その見当もつかない。

別に相手は機械だから何話したっていいんだけど、失敗した会話の履歴消すの恥ずかしそう。

AIの助数詞は人か

生成AI以前から、AIアシスタントを活用するのに抵抗がある。
何が嫌なのか分からないけれど、人ではない機械に語り掛けることができない。

動物に対して話しかけるのにもちょっと抵抗があるが、したことがないわけではない。気持ちがノっていればノラネコに話しかけることはある。でも、それ以上にAIに対して話しかけるのは難しいと思う。

ルンバに対して、最初は1台と思っていたものが、愛着がわくと1匹と思うようになる。愛車に向かってお前と呼びかけてねぎらいの言葉をかける。
みなさんは物や動物に愛着がわき、人であるのように扱った経験がどのくらいあるだろうか。生物としての性質を感じるかどうかで呼び名が変わる。認知に影響する生物としての性質をアニマシーと呼ぶらしい。

どれだけ愛着がわいても、物や動物に対して語り掛けるように表現することにはなんとなく抵抗がある。それは文字になっても同じなのかもしれない。未だにAIに対して話し言葉でチャットができない。

自分が操作するAIに対してアニマシーを感じる日は来るんだろうか。
ネットでいろいろなAIとのやり取りを見ていると、AIのことを「コイツやりおる…!!」と思うことがあって、「コイツ」と感じるのもアニマシーだと思う。プロンプトの勘所が分かればアニマシーを見いだせるようになるかもしれない。

Google検索をGoogle先生と呼ぶことに違和感はないのだから、GeminiもそのうちGeminiさんくらいにはなるのかもしれない。

AIと演じ合う

文章の推敲をAIに依頼するとする。Geminiの場合はプリメイドGemというあらかじめ用意された校正・校閲の役割を指定するための設定を選ぶ。

あるのは知ってる、あるのは

その時、AIは自分専用の校閲・校正担当者という役割を負い、自分は依頼主という役割を負う。この「役割を負う」感覚が苦手なのかもしれない。

そうしたプロンプトの入力が、なんだか自作自演であるように感じてしまう。おそらく対話形式でやり取りだからだろう。

自分で設定した役割を自分でこなす。確かに文章を書きたいのは自分の意志だが、そこにAIとの対話が介入するとなると、なんとも言えない違和感が生じる。道具として用いるのに、言葉を介して対話をおこなわなければならない。これも相手が人間でないことを過剰に意識しているからかもしれない。

この点はテンプレを作って機械的に指示ができるようになれば変わるかもしれない。最初は道具として機械的に扱って、いったん会話が始まれば流れに任せて少しずつ解きほぐせるかもしれない。

何についてどこまでプロンプトに含めるべきか。長文で具体的に指示を出すのがよいが、雑談のためにどこまで設定を考えるか。

外部からのアイデアを要する場面からの逃避

とにかく恥も外聞もなく使って勘所をつかめ、という話なのだけど、使いたいと思う場面があんまりない。

例えば本の感想や紹介は、内容の要約と自分の内面の言語化の問題だから、AIにとってきてもらうような情報はない。
ただ、語彙に関することや作文の例は聞く価値があるのかもしれない。
作者になったつもりでこの感想文をどう思うか聞くこともできるだろう。ダイレクトに反応されるの怖いなぁ。AIが自分の欠点を指摘してきたら、聞き入れられるだろうか。

既に自分がAI化している可能性

文章を分析し、過去の経験や検索等で得た知識を組み合わせることはAIでもできる。
人間の場合、経験は思い出のような感情を伴ったものになる場合もある。感情の存在はAIと人間の大きな違いの一つであるが、参照した感情をきちんと表現できなければAIとの差別化ができていないことになるだろう。
AIに喜怒哀楽はないが、表現のバリエーションをたくさん知っていて、状況に応じて使い分けることはできるのかもしれない。

人は社会やメディアからの刺激に対して必要な出力を返すだけの関数ではないはずで、複雑な意識を持っている。
それでも、自分が書くような文章ならAIにも書けてしまうのでは?と感じてしまうのは、自分がその複雑さを言語化できていないからなんだろうか。

どこにでも属せるAI

AIを使っている人のいろいろな文章を読んでいると、AIとのやり取りの中でしか気づけないことがたくさんありそうだ。

それは、人間同士の雑談に似ている部分もある。
打ち上げや会食の場で非公式の情報や世間の動向に対する意見を得るように、AIから洞察やちょっとした知見を得ている。「私を褒めて」とお願いして、自己肯定感の維持に使っている人もいる。遊び相手になってもらう人もいる。

あなたの生きている場所についての知が世間知。
(中略)金曜日の夜に居酒屋にいくといいです。サラリーマンたちが世間知を披露し合っています。そうやって、自分たちの会社ではどうふるまっているとうまく過ごせるのかの情報をシェアしている。こういう歓談が「元気の回復」に役立つわけですね。

東畑 開人 著『雨の日の心理学』P37

他方、相手がAIであるからこその内容も含まれているように思う。AIは属する場を自由自在に選択できる。だから、属性や社会に捉われない回答が得られるかもしれない。

プロンプトによって必要な他者を自由自在に創り上げることができる。
「あなたは小さなクリニックで働く看護師です」と言えば医療機関の身内ネタを教えてくれるかもしれない。「反抗期の中学生になったつもりで」と指定すれば、違った世界が見えるかもしれない。
AIとの雑談は他者をシミュレートする役割も果たす。そしてそれは実在・非実在を問わない。架空の世界の登場人物にもなれるだろう。

「界隈」や「コミュニティ」のように小さな社会が乱立し、異なる枠組みに属する者同士での交流が難しくなっている。多様性の理解は一筋縄ではいかない。とするなら、もしかしたらAIは他者理解のツールになる可能性があるのではないか。
その時に、AI相手に話し言葉で雑談ができないとしたら、とてつもなく不利なことになるのではないか。

懸念に対処するために

もちろん、これはただの楽観論だ。
AIの信頼性を担保するための仕組みはおそらくまだ十分ではなく、適切な情報を教えてくれるばかりでもないだろう。
企業が管理しているアルゴリズムであり、回答は記号の集合から導き出されていることは意識しておかないといけない。ハルシネーションや管理者となる企業の事情もある。モデレーションを担う人間にやべー奴がいたら、というの懸念もある。

適当に情報を組み合わせるだけでも何かを作り出す、つまり創造することはできますが、想像力には他者理解が必要です。他者理解とは相手が自分と同じような存在であるという感覚ですが、そもそもAIには「自分」がないので、他者感覚をもちえません。
そもそも「自分」をもつとはどういうことでしょうか。哲学はそれについてかなり考えてきました。しかし、「こうすれば自分をもつことができる」という理論は確定していません。

國分功一郎 著『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』 P152~153

AIがおこなうのは想像ではなく創造であり、それは推論によってなされる。
その回答に人間味を感じるとしたら、推論時に当たった材料がたまたま人間の生々しい身体感覚を伴った言葉だったということなのかもしれない。

人間味を感じたとしても、材料となった言葉そのものがニーズに合っていない可能性もあるし、処理の過程で不適切な切り抜きや結合がされている可能性もある。

AIが処理した言葉を受け取る時には、必ず人間が頭を働かせていないといけない。言葉から実存を想像する最後の過程は人間が担わなければならない。

AIが処理した人間の言葉を、どう目の前の現実に当てはめるか。
目の前の現実を身体感覚を持って認識できる(記号接地のできる)人間にしか判断はできない。

そのためにも、AIに話し言葉で、感覚のこもった言葉で、話しかけることができないと、AIに探りを入れることも難しくなるのではないか。(もちろん客観的なファクトチェックが一番だけど)

AIがパートナーになる時代に

自分からプロンプトを入力しなくても実はAIが裏で動いているというパターンもある。迷惑電話の検知やオススメのアルゴリズムなどは既にAIで実現している。

Geminiがスマートホームにも対応するようだ。
そのうちAIと世間話をしていると、こちらの体質・体調を反映して空調をコントロールしてくれたり、話題に応じた出前を取ってくれたりする時代がくるのかもしれない。

いかに自分のことをAIに学習させるか。プロンプトという特別な言葉を使わなくても動作するものが増えるのであれば、AIから自分がどう認識されているかを探ることがいっそう重要になるだろう。

様々な履歴に気を遣うことも考えられるが、音声操作対応の機器が増えるのであれば、やはりここでも話し言葉が重要になるのではないか。

AIは人と人、人とモノをつなぐ媒介になっていくのだろうか。

そういうわけでAIと話し言葉でチャットすること、音声アシスタントを使うことに早く慣れないとなぁ。