電子レンジとの戦い
ゆたかさとは「自由な時間」があることだと思っていた。
私はエンタメ業界で働く一人。
毎日のように違う場所に行く為、一日の終わりには必ず明日行く場所の最寄駅と、駅からの行き方を調べ、車で向かう時には地図をみて、ルートとその道の混み具合を想定し、入り時間から起きる時間を逆算して、寝る。
終電で返って始発で仕事に向かうこともあれば、地方に行きっぱなしで何日も家に帰らない事もある。同じ職種の人ならきっと多くがこんな日々を過ごしているんじゃないだろうか。
もちろん好きでやっていて充実しているし、文句なんかないけれど、もっと自由な時間があったらと思う日もあった。
それは何気なく、自分の部屋の中を見た時。
机の上には時間があるときに読もうと買った雑誌の山、取り敢えず置いた大量の服で座れない椅子。
買い換えてから捨てるタイミングが無く、狭い部屋の床を更に狭くしている粗大ゴミ。
「もっと自由な時間があったなら」
そんな事を思う日々に突然、
外出自粛の日々がやってきた。
働き始めてから今まで、これほど長い連休(正確には自宅待機だが)を経験してこなかった私は、せっかくなら今まで時間が無くてやれなかった事、面倒でやらなかった事を全部やってやろうと意気込み、紙に書き出した。
その中の一つが、電子レンジを捨てる事。
粗大ゴミとして出さなければならない電子レンジは「粗大ゴミ」というだけでなんだか面倒で、手をつけずにいた。
初めて捨てる粗大ゴミ。
私はまず捨て方を調べる。パソコンで検索すると「ごみ分別アプリ」というのがあるらしい。早速アプリをダウンロードしてみると、住んでいる地域の設定が出来、各ゴミを捨てる日がカレンダーで確認できる。そして検索欄もあり、何を捨てたいかで検索すると、何ゴミとして分類されるのかや、粗大ゴミならいくらのチケットが必要か、予約の仕方や電話番号も出てくる。
30分程「ごみ分別アプリ」に記載されているゴミ出しまでの流れを熟読した後、粗大ゴミ予約に電話した。
アプリのカレンダーで調べた日程だと、5日後くらいに捨てられるはずだったが、予約でいっぱいで、最速で来月だと言われた。
まあしょうがないかくらいの気持ちで、その最速の日に予約。
思えばこの日から、電子レンジとの戦いは始まっていた。
一ヶ月なんて今まであっという間に感じていた私は、取り敢えずコンビニで粗大ゴミ用のチケットを購入して、捨てる日を待つことにした。
が、、、
この一ヶ月が想像以上に長かった。
時間が無くてやれなかった事リストは、4日で全て制覇できてしまった。
それから何日かは必死に、興味が持てる事を探したり、仕事に生かせる知識を何かしら身につけようと色々調べたりした。
出来るだけ外に出る事なく変わらない日々を過ごていると、3日過ぎるのもやっとで、1ヶ月先の電子レンジを捨てる日のことなんかもう完全に忘れていた。
思い出したのは、食料の買い出しで近所のゴミ置場前を通ったとき。
この日は予約がいっぱいで自分は出すことが出来なかった粗大ゴミの日で、誰かが出したトースターが置かれていた。
まずい。電子レンジを捨てようと決めた日からまだ10日も経っていないのに、もうその日の決心を覚えていない。
せっかく捨てようと思い立って、面倒な作業をクリアして、あとは捨てるだけ!というところまで来たのに、このままだと。。。
何としても1ヶ月後の収集日を忘れないために、私は対策を考えた。
まずは携帯のカレンダーで前日に鳴るアラームを設定。
これだけで十分でしょと言われるかもしれないが、もし何らかの障害で、例えばアプリの更新で設定がリセットされたり、他の作業中に気付かず消してしまったりがあるかもしれない。デジタルはそういうところで信用できない。
ということで、アナログでも対策をすることにした。
私が思いついたのは、100円のクリップを買って来て、家のドアの内側に粗大ゴミ用チケットを貼っておくこと。
これでもう安心。毎日見る場所に目立つようにチケットを貼っておけば、日々「電子レンジを捨てないと!」と思い出すことが出来る。
しかし安心できたのは束の間。
3日後、もうそのチケットは目立つものではなく、ただのドアの模様として私の目に映っていた。
まずい。再び私は考えて、対策第2弾として「電子レンジ 5/7 捨てる!」と太マジックで大きく書いた紙を寝室の壁と、キッチンの壁に貼ってはみたが効果は無く、すぐに見慣れたただの模様となった。
それから対策第3弾、ホワイトボートと専用の黒マーカーを買って来て、電子レンジを捨てる日までのカウントダウンをして見ることにした。
が、以前のように”今日はここで○○の仕事、明日は△△に行ってから□□へ移動”といった日ごとに変わるスケジュールも無く、誰かと会うこともなく、代り映えのない日々が続いていると、まだ今日なのかそれとも1日過ぎたのか、気づけばまるで、今日の分の薬を飲んだかどうか忘れる高齢者のようになっている。
もう他に方法が思いつかなかったけれど、
「毎日同じ色のマーカーだから、脳が変わったのを判断しにくいんじゃないか」
と何の根拠ないことを思いついて、赤色のマーカーを買って来て、今日は赤、明日は黒という感じでホワイトボートの数字を変化させていった。
そのうち「数字より文字の方が、変化を感じられるんじゃないか」と思えて来て、カウントダウンをやめ「電子レンジ」や「5/7」「捨てる」を含めた言葉を毎日ホワイトボードに書いていく。
たかが電子レンジを捨てるために、こんな馬鹿みたいな対策を繰り返してやっと5/7をむかえ、無事電子レンジを捨てることが出来た。
結局200円で済むはずだった電子レンジの処理に、640円もかかってしまった。
今まで想像してこなかった
とんでもなく長い「自由な時間」を
1ヶ月過ごして思い知る
毎日違う今日を送れたなら
その違った今日を誰かと共有出来たなら
好きで選んだこの仕事でまた汗を流せたなら
それがどんなに過酷な日々だったとしても
私にはその忙しい日常の方が
「ゆたか」だと言える。