見方日記 8/19〜
8月19日
見方日記をはじめる。
佐藤先生の授業の、授業後感想メモにて、Sawakoさんが「表現の居場所」というワードを出されたそうだ。当時は2003年頃。まだTwitterもYouTubeもない時代。その話を先生から聞いて以来、表現の居場所ということが気になっている。
雑然とした日常のメモのうち「見方」とも言えるようなかすかな断片たちが居場所を求めている。それそのものでは何かになるわけでもないけれど、何かになりそうな予感がありそうなもの。でも予感だけかもしれないもの。ものたち。どこが居場所かわからないが、noteがもしかしたらと思い、書き始めてみる。
やっぱ違ったらフェードアウトしちゃうかも。
8月20日
メモ帳に残っていたフジテレビ鶴丸さんのインタビューを再度読んだ。アナウンサーの一線から退いた思いの箇所。
「妻も子どもたち2人も僕がテレビに出なくなることについては少なからず寂しさがあったと思います。家で夫の仕事ぶりをモニターできる仕事なんて、そうそうない。」
「フリーというのはもともとタレント性があって、たまたま局アナだったという人が選ぶ道。」
アナウンサーを
家でモニターできる仕事と捉えること。
フリーというのは〜、
のくだりの慧眼。
8月21日
コロナ禍で行われたフジロック2021
サンボマスターの山口さんが叫ぶ。
「心の中で叫んでくれ!」
観客「(ラブ!アンド!ピース!)」
「聴こえねえぞ!!」
*
名前を知らないときの集合写真の撮影
「そのメガネの青いボーダーの人!」
そこにメガネは3人いた。青いボーダーはメガネあるなしに関わらず1人だった。
そのメガネの、と入りたい気持ちはとてもわかる。目が合うし。
8月22日
レア力
一瞬「れあか」と読むのかと空目した。
*
毎月22日はショートケーキの日。
なぜならカレンダーで見たときに、
上にのっているのがイチゴ=15日だから。
*
腹黒ならぬ腹グレー(円楽師匠)
色合いで意味を調整する。
色が入った言葉で使えそうな考え方。
8月23日
富士山。
そこは縄文人でも目指しやすい。
(ブラタモリ「諏訪」の回より)
というのを観て思い出した。
関内から桜木町の間で迷ってしまった。
みなとみらいを目指したい。
iPhoneの電源は切れている。
ふと見上げるとランドマークタワーが見えた。
文字通り、ランドマーク(目印)として機能し、
そちらに向かって歩を進めた。
*
「こんな場面を想像してください。テーブルの向かいに4~5人の人が座っていて、全員あなたの意見に反対です。でも、あなたは自分が正しいと確信しています。」
Steve Jobsの真正面を見つめるポートフォリオ写真を撮ったときのカメラマンAlbert Watsonの声かけ。
場面想像で表情を引き出す。
8月24日
六本木は小1の漢字で書ける、という事実
オトナな街とのギャップ感
*
「食道の満足感を卵とじしたい」
という食レポ表現
卵とじのシズルが効いている
8月25日
「コンコン」というオノマトペだけでも
狐の鳴き声の可能性もあるし、
雪が降る情景の可能性もあるし、
ドアをノックした可能性もある。
どれかに特定するよりも
そのいずれの可能性も秘めている
もしくは含んでいるという状態である
という認識で捉えたときに
広がる表現があるのではないかという予感。
言葉の多義図形的な。
8月26日
プロ野球中継。
緊迫した展開、長嶋茂雄さんの解説。
アナウンサー
「ナガシマさん、今日の試合、どっちが勝ちますかね?」
長嶋茂雄さん
「えー、1点でも多くとったほうが、勝つでしょうね。」
サッカー中継。
解説松木さん。
「今の、ゴールキーパーいなかったら入ってましたよ!!」
病院にて。
武田鉄矢さんとおばあさんの会話。
武田鉄矢さん
「いやあ、人間ってのはどうして老いるんですかね?」
おばあさん
「そりゃあんた、若死にしなかったからだよ。」
同値関係でしょとか、
そりゃそうだろうと一蹴できない
深み手前の含みがある。
8月27日
日本画家の堀文子さんの言葉。
人間がどうして絵を描くのだろうと、90を過ぎて考えますと、画家とか芸術家というのは、このごろのことであって、人間がこの世の不思議の原理を追究しようとしたときには、ルネサンスのころでもギリシャ時代でも、科学者と絵描き、建築家、哲学者、宗教家は同じだったんです。
絵は結果です。排せつ物みたいなものです。なぜこの絵かといわれても、本人だって分からないんです。文字も言葉も生まれないときから人は何かを刻んだり記録していたりしたのではないでしょうか。踊ったり、走ったり、食べたりすることと同じじゃないでしょうか。
*
同じく堀さんの言葉。
私は50代くらいは死の恐怖が観念的にありました。寝るのが怖いというのが2年くらい続きました。今は死が私の中に8割入っているから、同居しているようなものです。死と連れ合っている感じがちょっとあります。
*
絵は結果。なぜかはわからぬ。死と同居。
8月28日
ネットは、多様なUIにたじろがず、いろいろなボタンやタブやアイコンをいじりまわした人が得をする。情報のRPG。
→6歳児といじくりまわす遊びしたい。安心なサイトで。それ専用のサイト、タカラトミーさんつくってくれないかな。
*
木が聴くなぁ。
とシジュウカラがつぶやく。
という世界観。
*
中央線ダイヤ乱れ。
アナウンス
「この電車が東京まで先に参ります。」
しかし武蔵小金井で新宿行き(新宿終点)が先に出た。たしかに東京へはこちらの電車が先だが。
ある線上における目的地と“先”の概念の難しさ。
8月29日
匂いに慣れて、感じなくすることで、新しい匂いに気付きやすくする
*
赤黄色緑青の順に、奥行きを感じる
黒はどこに入るだろうか
文脈ならぬ色脈によるかもしれない
*
時そばみたいな点呼
「いち」
「に」
「さん」
「し」
「ご」
「ろく」
「なな」
「あ、蜂!」
「きゅう」
8月30日
青山公園にて、穂先をゆらゆら揺らしながらお散歩している少女がいた。
「何しているの?」と聞くと、
「ようせいさんとあそんでいるの」だそうだ。
*
祖母が亡くなった。
天国にもうひとり会って話したい人が増えた。
かと言って自分も早く死んで早く会いたいとも思わなかなった。
もう少し現世で土産話をつくろうと思う。
*
ブラインドサッカー。
ボールには金属のチップ。
フリーキック時はガイドがゴールのポストを金属で叩き音を出す。音で位置を把握する世界。
キーパーは視力があるが、キッカーは視力がなく目隠しをしている。ゆえにキーパーは、キッカーの目線による予測はできず、純粋にシュートが打たれてから反応しないとならない。
*
視覚障がい長距離走の伴走者、
中田さんの声かけ。
「こう言ったら周りがどう反応するかを考えながら声掛けします。
たとえば、強豪の飛び出しを抑え、集団での展開を望むなら楽しげに話して余裕があるように装い、けん制する。
たとえば、追い上げ体勢では距離が詰まっていなくても「差は40メートル」「30メートル」「20メートル」と発する。徐々に声量を上げ、いかにも後ろから迫っているように思わせる。
声でも戦っているんです。」
「伴走は黒子と思われているけれど、僕は単に視覚障がい者を支えているわけではない。競技者として一緒に勝負する。和田さんを勝たせたいし、僕も勝ちたい」。
8月31日
ザンギリ頭を叩いてみれば
文明開化の音がする
文明開化はどんな音だろうか。
*
無機質な関数ではなく、何かの行動を何かの具体的な実現したいシーンと連動させることは、人間ががんばれる根源的なしくみなのではないだろうか。
たとえば、柳⽥悠岐選⼿のコメント。
「SOS 子どもの村JAPAN さんが支援されている子どもたちの中には、経済的な理由が原因で、部活や習い事、芸術鑑賞や進学に対して消極的になってしまっている子も少なくないと聞き、この取り組みをやりたいと思うようになりました。
ホームランを打つことと子どもたちへの支援を連動させることで、僕自身の大きなモチベーションにもなりますし、この取り組みが、子どもたちの未来を支える助けになるのであれば、本当に嬉しいことです。
まずは、子どもの村福岡に鉄棒がほしいと聞いています!早く鉄棒分のホームラン(2 本)を打ちたいと思います!」
鉄棒分のホームラン!
たとえば、ボクシング村田さんの言葉。
村田さんの階級には、スパーリングパートナーを高いレベルでしてくれる相手が日本人にはなかなかいないので、メキシコからルナという選手が来てくれていた。
「リアルな応援ってやる気出るんすよ。このあいだ、ルナがありがとうって言うんで、なんだ?と聞いたら、僕とのスパーリングのギャラでメキシコに家建ったって言うんすよ。あ、家建つんだ、って。母さんに孝行できたって。今度の試合はルナにもう一軒家建ててもらえるように勝ちます。今度はルナ自身の家を。勝つとまたスパーリングできるんで。」
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