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佐藤先生に教わったこと-#30

このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。

吉田さん、学問をなめないでください。

いきなり刺激的なタイトルから始まりました。この言葉、自分は直接その場で聞いたわけではありませんが、佐藤研の中では有名な佐藤先生の言葉です。

吉田さんは星からすると佐藤研の先輩で、佐藤研は当時「コンピュータにとっての次の表現」と「数理と概念」という2つの研究会があったのですが、吉田さんはその「数理と概念」のほうに所属されていました。

数理と概念は、佐藤先生にとってもチャレンジングな研究会だったようで、数理記述でしか表現しえない面白い現象について探究しよう、そのためにまずは「計算幾何学」や「数学基礎論」など、そこに目指す方向につながる数学的態度や鉱脈があるのではないかという数学をひたすら研究しているという凄まじくストイックな研究会でした。人数も佐藤先生とTAの村上さんをのぞくと、5人ほど。そんな研究会での一幕です。

その先生の一言が飛び出したとき、吉田さんはちょうど東大の惑星科学かどこかの院試を終えたばかりで、そんなタイミングで参加した研究会だったそうです。

吉田さんに割り当てられたある数理的概念の発表を終えた、その時。

「吉田さん、学問をなめないでください。」

吉田さんが広告批評のインタビューに答えた文面を読むと、吉田さん的には院試を終えたばかりで、どこか惰性でその発表をまとめたそうなんです。その惰性の態度を見抜かれて厳しい一言になったのではないかと。

そのインタビュー記事を読んでこう思いました。

「めちゃめちゃ思い当たる節があるぞ。」

というのも、

「コンピュータにとっての次の表現」の研究会においても、毎週とか隔週で課題の発表があるのですが、いつもはどんなことでも、「これはここが面白いですね、なぜならこれこれこういう認知が働くからで、これをたとえばこれこれこうしたら表現としてさらによくなります」と、まじでたしかにその表現にするといい!と毎回脳が打たれるわけですが、時々鬼のような目、冷たい言葉で、さらりと次に流されることがあったからです。

なので、吉田さんの逸話を聞いたときも、まるで我がことかのように、ひいい、っとなりました。


さて、

当時は自分でも、この「なめないでください」がよくわかっていなかったのですが、今振り返るとおそらくこういうことです。

それは、

わかってもいないことをさもわかったかのように取り繕ったり、

腹落ちしていないパーツをただ記号的に組み合わせてよしとしたり、

外部評価の定まった(かのように見える)何かを良さげ風にまとめただけだったり、

“自分”の外側にあることを外側に置いたままこちょこちょやって「はいOK」としている態度、

そんななめた態度ではまだ誰も分かっていないもののキワなんかに到達するわけがないし、

本当に面白いもの本当に新しいものは世の中だったり外側にはなく自分の内側にしかない、

その探索はときに孤独でつらいものですが、それと向き合わない人に学問ないしは表現をする資格はない、

ということなのではないかと。

今自分で書いてても、ひいいと背筋が伸びます。そういう態度でのぞめているだろうかと。

プロゲーマーのときどさんは、化学系の大学院時代、先輩に「想像力とか好奇心を常に磨くといいよ」とアドバイスされ、そのときはピンとこなかったそうですが、後年、プロゲーマーの世界で格下と侮っていたライバルに負けたときに、どうしようと落ち込み考えた挙句、取り組むゲームをストリートファイター一本に絞ったり、あらゆる本を読んだり、格闘技を習ったりともがき、ああ、「想像力とか好奇心を常に磨く」とはこういうことかと得心したそうです。

勝てる公式を見出しあとはそれへの当て嵌めだけでなんとかしてきた態度が一変、そのように想像力や好奇心を磨き続けていると、たとえ相手が試合で見たこともない新しい技を繰り出してきても、それを瞬時に受け止め、その場で対抗策を考えることができた。

そんな風に変わったそうです。

吉田さんが院試の直後に「なめないでください」と言われたのも、示唆的だなと思います。

いわゆる試験は、勝てる公式を見出しそれに当て嵌めてクリアしようという態度でのぞみがちです。

一方、研究や表現はそれとは違います。

想像力や好奇心を常に磨き、もがき、苦しみながら、自分の内側から引き出さなければいけません。

果たして自分にできているだろうか。

「学問をなめないでください。」

佐藤先生の声が今も聞こえてくるようです。


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