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【読書レビュー】利己的な遺伝子

価値観変わるくらい面白かったので内容や感想をまとめてみます。
「利己的な遺伝子」自体はかなり昔に出版された本ですが、読んだのは40周年記念版なのでそちらの内容がベースとなっています。

本のポイント

■ 生物は遺伝子のための機械でしかない

人間含め全ての生物は遺伝子を複製するための機械である。
 今残っている遺伝子は何百万年もの激しい競争世界で生き抜いてきており、共通する大きな特徴として「非情な利己主義」であることがこの本の主張である。一般的に種の利益のために進化してきたように考えられがちだが、これは誤解であると主張している。簡単に言うと、仲間と一緒に生き延びようとするのではなく、自分の遺伝子がいかに生き残れるかということだけを考えている(ように振る舞っている)ということだ。

遺伝子はそれ単体では外部の環境変化に対応できず生き残れないため、外界の変化に対して素早く対応する必要がある。動物であれば目や耳といったセンサーで外部の情報をキャッチし、脳で危険かどうかを判定し、筋肉を動かして生き延びるための行動をとっている。これは遺伝子が直接体を操作しているのではなく、生き延びる行動をとる体になるように遺伝子がプログラムしている。遺伝子というパイロットにとって、生物の体は都合の良い動きをするようにプログラムされたロボットのような関係なので、「生存機械」と呼んでいる。

■ 興味深い具体例

生存機械は自分の遺伝子を残すことだけに興味があるという主張では説明が難しい事例もある。例えばハチやアリに代表される膜翅目(まくしもく)の動物は自分が生殖行為をしないだけではなく、集団のために必死に食糧を集めたり、時には命と引き換えに巣を守ったりすることもある。一見すると巣の中で女王だけが利益を手にし、働き蜂(ワーカー)にとって何の利益があるのかという疑問が浮かんでくる。

しかしワーカーのここでの行動も実は自分の遺伝子を残すための行動であると説明できる。

巣にいる女王が産卵するとき、未受精卵はオスに受精卵はメスになる。つまりオスには父親がいないことになる。
 関係をわかりやすくするために、登場人物(人ではないが…)を父、母(女王)、息子、娘A、娘Bとしておこう。前提から順に説明すると

【前提】
・息子は母親の二組の遺伝子のうち一組だけを持っている
・娘は母由来の一組の遺伝子と父由来の一組の遺伝子を持っている。
・父は一組しか遺伝子を持たないので、父が作る精子は全て同じものになる
【遺伝子の近さ】
・母の視点では息子にも娘にも半々の遺伝子を受け継がせている(子どもの遺伝子はの半分は自分の遺伝子)
・娘Aが持つ遺伝子が母親由来だとすると娘Bが同じ遺伝子を持つ確率は50%になる
・娘Aが持つ遺伝子が父親由来だとすると娘Bが同じ遺伝子を持つ確率は100%になる
【結論】
・つまり娘Aから見ると、母親よりも娘Bの方が多くの遺伝子を共有していることになる(父親からの遺伝子は100%同じで母親からの遺伝子は50%の確率で同じ)

要するに娘からすると自分の子どもを残すよりも女王に姉妹を産ませて育てた方が自分の遺伝子をより多く残せることになるため、ワーカーとして振る舞うわけである。

■ 文化の遺伝

人間だけに特徴底な遺伝として文化の遺伝というものがある。言語に代表されるが、他にも衣服や食べ物、建築、工芸などの文化は歴史を通じて遺伝的進化のような進化を遂げている。
 この本の中では文化的な自己複製子を「ミーム」と名付けている。遺伝子が精子や卵子を経由して体から体へと飛び回るように、ミームは文字や言葉を通じて脳から脳へと渡り歩く。例えば科学者が良い考えを聞いたり読んだりすると、同僚に話したり論文や講義で発信したりする。そうして広まっていく中で評価を得たものだけが選択されていく様子は、遺伝子が自然淘汰されていく様子に確かに似ている。

感想

遺伝子という視点で見ると、非情な利己主義のおかげで自分たちが進化してきた(選択されて生き残ってきた)という事実に衝撃を受けました。確かにいろんな動物の生存戦略の例を説明できていて、かなり納得感のある内容だと感じました。

遺伝子を残せない(性行為ができない)のであれば長生きしても意味がないという内容は面白いと感じました。ゴクラクチョウという鳥のオスが例に出ていましたが、この鳥の尾羽は特殊な形状でメスを惹きつけるのですが、無駄に長くて変わった形状は逆に自分の生存確率を下げてしまうことになります。しかし、メスにとって魅力的に思われなくては危険から逃れやすい尾羽を持っていたとしても、その遺伝子はそこで終わりというわけです。
 人間もかつてはこのような厳しい世界で生きていたと思いますが、現代では女性が感じる魅力の種類もさまざまであり、一夫多妻性というわけでもないので、かなり戦いやすい環境にあるなと感じました笑。とはいえ、魅力度を高める努力はしないといかんなと思う次第です。

遺伝子が利己的ということを考えると、自分自身を認めることができそうだと思いました。自分勝手な考えをしたり、誰かのための行動のつもりでも結局自分のことしか考えてないんじゃないかなどと思うことがあるのですが、そう考えてしまうのは、遺伝子によってそうプログラムされているからと開き直ることができそうです。自分の中の悪魔的な部分を遺伝子のせいにしてしまおうという考えです。

メモ

面白いと思った内容を備忘録として書いておきます。

・遺伝子の確からしさ
自分の親や兄弟、子どもは50%自分と同じ遺伝子を持っているはずだが、すり替わっている可能性を否定できない以上、確信することはできない。自分だけが唯一自分と同じ遺伝子を持っていると確証できる存在である。

・避妊と福祉国家の不自然さ
養える数以上の子どもをつくるのは福祉国家がなければ成立しないが、どこまでも多くの子どもを救うことは不可能。避妊が生物的に不自然な行為という主張は正しいが、不自然さでいくと福祉国家も同じであり、避妊をしなければ福祉国家が成立しない。

・アカライチョウのなわばり戦略
死を覚悟で攻めるよりもチャンスを待つ方が得策

・有性生殖が選択された理論
小型で素早い配偶子を多量に生産する個体(搾取する側)と大型で運動性のない配偶子を生産する個体(搾取される側)がどんどん選択されていったため

・女性が着飾る謎
自然界(人間以外の動物)では普通オスが外見的特徴でメスを惹きつけるが、人間の場合は女性がメイクやアクセサリーなどで着飾り、容姿に関する関心が高いという謎

・人間だけが利己的な自己複製子たち(ミームも含む)の支配に反逆できる。

・ゲーム理論で勝利を収めた戦略は「やられたらやり返す」
利己的な集団の中でも気のいい奴が1番になり、常に搾取しようとするもの(テイカー)は結局メリットを得られない。

・延長された表現型
遺伝子が直接作用できるのはタンパク質合成だけだが、それが次々に影響することで自分の体の外にまで影響を及ぼすことになる。これを遺伝子の延長された表現型効果と呼ぶ。具体例でいくと、トビケラという虫が作る石でできた巣で、遺伝子は石の巣に対して直接働きかけることはできないが、トビケラの選り好みを操作することで生存に有利な巣を作らせることができる。このように表現型というのは自分の体の外にも影響しうる。

・自分たちの体は寄生者たちの寄せ集めかも
延長された表現型は必ずしも無機物ではなく、ときには自分以外の生物に対しても現れる。例えばカタツムリは寄生虫によって必要以上に厚い殻を作らされるため、寄生虫の遺伝子はカタツムリの表現型に対して影響を与えたことになる。この例では寄生虫はカタツムリが死んでも構わない状況だが、両者の遺伝子が同じ精子または卵子を経由して次世代に伝えられるとしたら、お互い協力して繁殖できるようにするはずである。そう考えると、私たちの体は元々は別だった遺伝子が合併を重ねてできたものかもしれない。

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