ヒマラヤ 第一章 エピローグ
ゴォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーー!!!!
鼓膜に鳴り響く、水の流れ。
明け方に、水の音で目を覚ました。
うるさくて寝られやしない。
これが、せめて自然の中であれば諦めがつくのだが・・・。
私の睡眠を妨害していたのは、トイレの水。
壊れて水が止まらないのだ。
ここはカトマンズのホテル。
4日、ポカルデに無事登頂した僕らはキャンプを撤収し、その日のうちにディボチェの村まで下った。
その日は、まさしく泥のように寝た。
翌5日はモンジョまで一気に戻った。
途中、行きの道中で今後の進退を迫られたゲストハウスにも寄った。
あの時は、本当にきつかったので、今こうしてピンピンしている自分が嘘みたいだった。
ここで先に進む決断があったからこそ、ポカルデに登ることができた。
だけど、後からニマさんが話してくれたことだが、ニマさんはその昔ガイドをしていた時、50代の日本人男性を高山病で亡くしている。
このエベレスト街道で、だ。
私が参っている時も、その時のことを思い出したらしい。
だからあの時、私が本当にこの後進めるかどうか、ここで休憩させて見極めていたらしい。
だから、あんなに慎重だったんだ。
苦い過去を思い出しながら、私の体調を気遣ってくれていたニマさんに改めて感謝した。
そんな恩人ニマさんは、ここで頭を洗いたいと言いだし、桶に汲んだお湯で気持ちよさそうに洗髪していた。
「コウキセンセもどうですか?」
私は、10日間に渡り汗と脂と砂塵でコーティングされたこの頭を、ここで洗うのは何故かもったいないと思い、ニマさんの誘いを断った。
日本に居たら、一日洗っていないだけでも気持ち悪く感じるのに、このベトベト髪に愛着が湧いてしまったのだ。
結局、この髪は翌日のルクラまで洗わず。
モンジョからルクラまでは旅の終わりが近づいているからか、一歩一歩がとても大切な瞬間に思えた。
のどかに広がるエベレスト街道の農村を横目に、少々感慨にふけりながら下っていった。
だけど、そんな感慨も、途中に寄ったゲストハウスで、そこの若い娘さん(しかも美人)に気に入られ鼻の下を伸ばしたことにより、一瞬でどこかに吹き飛んでしまった(笑)。
ハンサムだってさ、ぐふふ。
しかも、カトマンズからきたシェルパだと思ったらしい。
てことは、なんだい。
おいら、一端の山男に見えたのかな?
なーんて、これが実はハニートラップだった。
すっかり気をよくした僕は、彼女のサウニー(お母さん)に勧められるがまま、搾り立ての牛乳をコップなみなみ2杯一気飲みしてしまったのだ。
後ろ髪をひかれながら、この後ミンマの家でヤクのステーキとビールをご馳走になり、僕の胃腸は完全にノックダウン。
そしてお尻の穴はノックされまくりでもう・・・
辛かった。
ルクラまで強烈な腹痛に襲われながら、なんとか漏らさずホテルに到着。
そのあと、格闘は夜まで続くのであった。
7日は、飛ぶか飛ばぬかですったもんだしながら無事にルクラからカトマンズへ。
ずっと一緒に居てくれたミンマとの別れが寂しかった。
正直、別れのハグで目頭が熱くなった。
あの、ヤクのステーキは、私の頑張りを見ていたミンマが奮発して作ってくれたもの。
貧しいミンマの家にとってヤクの肉はとても高価。
ビールだってそう。
でも、彼はそんなご馳走を私に惜しげもなく振る舞ってくれた。
雇い主、シャルパという間柄ではなく、どんな時でも献身的にサポートしてくれた彼の人柄は、このヒマラヤの山々のように気高く大らかであった。
別れの挨拶は「Good bye」ではなく「See you again」。
ミンマ、本当にありがとう。
3月のエベレスト遠征もどうか無事で。
必ずまた会おう。
カトマンズに戻った8日は、タメルでメイド・イン・ネパールの山服を数点購入。
夜は、初ナイトクラブで現地のフォークソングの生演奏に酔い、酒に酔い、踊りに酔った。
そして、今に至る。
壊れたトイレに安眠を妨害されたこの日、二日酔いの僕は昨日紹介された若いラクパさん(ニマさんの従弟で同じく山岳ガイド)とカトマンズ市内を観光した。
バイクで。
しかも、2ケツ。
そして、もちろんノーヘルで。
これが結構強烈で、壮絶な道路事情を抱える市内をかっ飛ばすもんだから、生きた心地がしなかった(しかも二日酔い)。
バイクでの移動は置いておいて、連れて行ったくれた史跡は、どれも素晴らしかった。
特に、ダルバール広場に面する旧王宮、ハヌマン・ドカは世界遺産なだけあって、ネパールの歴史が染着いた建築群は見応えがあった。
若いラクパさんは、フランス語の方が得意らしく、英語での説明に苦戦しながらもひとつひとつ丁寧に案内してくれた。
昼は、美味しいダルをご馳走になり、そこから同じく世界遺産のボダナートへ向かった。
高さ約36mもある、ネパール最大の巨大ストゥーパ(仏塔)は圧巻。
ここでまさかの衝撃の事実を知らされることとなる。
それは、寺院の入り口にふと目をやった時のことだ。
この道中、何度も目にしたシャルパのシンボルマークがそこにあった。
その意味を、何気なく若いラクパさんに尋ねた。
すると、若いラクパさんの口からトンデモナイ英単語が・・・
「あれは、UNITYを表しているんだよ」
・・・・・えっ
今なんと?
ユニティとおっしゃいましたか????
「そうだ、あれは僕たちシェルパ族のシンボルマークで、UNITYを意味するんだよ」
・・・・元日の夢に出てきた橙色の袈裟を着た、修行僧の言葉もUNITY。
ポカルデの頂上で僕は、ただ単に「結束」を意味するものだと思っていたのだが・・・
若いラクパさんの言葉に、全身稲妻が走ったような衝撃を覚えた。
そうか。
最後の言葉「UNITY」は「結束」でもあり「シェルパ」自体を意味する言葉でもあったのだ!
ニマさんも、ラクパさんも、ミンマも、みんなシェルパ族。
私は、間違いなくシェルパ族の男たちとともに登った。
そうか、そうだったんだ!
シェルパとの結束なくして、ヒマラヤ登山はないのだ。
修行僧が与えてくれた言葉を、たった今本当に理解することができた。
そして、この旅の真理を得た。
STRONG MIND
GOOD HEALTH
UNITY
そして、感謝かな。
ボダナートの白い世界に立ち尽くし、僕のヒマラヤ第一章は幕を閉じた。
おわり