病気への最大の仕返しは優雅に過ごすことだ!
ここに登場するのは
障害をたくさん持って生まれてきた息子(チャッピー)。現在2歳。
茶師のハズバンド。(お茶で幸せの意味で息子のあだ名はチャッピー。。)
元作業療法士のワイフ。私。
です!
チャッピーが生まれて来る経緯は他の記事に少し書いたので見ていただけると幸いです。
チャッピーのこともですが、私たち夫婦がどんな受け止め方をしたか、どんな様子で過ごしてきたかを書いておきたいと思います。
障害があるかもしれない。
それは、チャッピーが産まれてくるずっと前から私だけは心配していたことでした。
なぜかというと
妊娠してすぐに、産婦人科の先生から胎児の形がおかしい。
もしかしたら、胎児ができたことによって妊婦が癌になる病気かもしれないので、血液検査をすると言われたのでした。
(そんなことあるー???!!!おめでたい気分なのに、地獄に落とすようなこと言うね!)
と頭の中は真っ白になっていました。
しかも、その検査結果が出るまで1週間もかかったのです。(トホホ)
その間、結果も出ていないのに、自分が癌になっているというくらい、生きた心地はしなかったのと、何回か夫氏の前で泣きました。(ハズバンドはもう完全に忘れてるに違いないですがね。。)
結果、その時は数値的にも大丈夫と言うことで、胎児も成長とともに通常と変わらない形になって、まるでなかったことになっていってました。
でも、私はなかったことにはできなかったのです。
妊婦というのは、とってもとっても繊細な精神状態になるものなのです。(特に私に関してはかもしれないですが、普段気にならないことがすごく大きなことのように感じたりしていました)
世間一般での妊婦さんのイメージは、お腹の赤ちゃんを思って幸せでほんわかしたものだと思うけれど、私の場合は、心配事が尽きなかったのです。
もちろん、お腹に赤ちゃんがいることは嬉しいことだし、産まれて来るのも待ち遠しい気持ちもあしました。
が、それ以上に、産婦人科でちょっとでも気にかかるようなことを言われると、ネットで検索したり、体に悪いものを食べちゃったかなとか、精神的にゆったりなんて気分ではなかったのです。
でも、周りからは(楽しみだね!)(もうすぐだね)(順調なんでしょ?)なんて前向きな言葉ばかりかけられる。(しんみりしている方がおかしいかな)と思って、表面上は明るくするようにしていました。
もちろん、ハズバンドも楽しみハッピーな感じでした。
チャッピーが産まれる少し前に、産婦人科で、(障害があるかもしれないから大きな病院へ行ってください)と言われた時、自分も頭が真っ白になったけれど、ハズバンドがどんな反応をするのか、悲しんだりするのが心配になったのを覚えています。
けれど、意外にもハズバンドの反応は普通だったのです。
(もし障害があってもしょうがないじゃん)とさらっと言ってきたのです。
産まれてから手術が必要だと完全にわかった後も、ハズバンドは私が入院している病室に毎日来てはチャッピーが生まれて来るのを楽しみにしていました。(年末年始で時間もたっぷりあったので)
チャッピーが産まれて私も先に退院して、まだNICUに入院している色んな管や呼吸器のついたチャッピーに毎日二人で通いました。
その間も、ハズバンドはくらーくなることはなかったです。
目の前のチャッピーが可愛かったのと、自分が父親になったという自覚がビビビときてハイになっていたのか、もしくは、私が凹まないようにあえてそうだったのか、いつも楽しそうにしていました。
チャッピーが産まれてすぐの手術と、その後の食道と胃を結ぶ6時間近い手術の間も、私は心配で何も手につかなかったけれど、ハズバンドは本を読んだり、チャッピーの名前を考えたりしていました。
私も一緒になって時間を過ごし、おかげで生きた心地で待ち時間がすぎました。
チャッピーはトータル3ヶ月半入院していました。
入院中、私はチャッピーが入院している病院の近くのハズバンドの実家に残り、ハズバンドは仕事があるので、自分たちの家に帰って夫婦別々に過ごしていました。
ハズバンドは自営業で自分でやらないといけないことが山積みで、チャッピーの心配もあっただろうにしっかりと仕事をしていました。
私は、毎日面会にいって、些細なことや、先のことなど心配して、面会以外のことは何もする気持ちにならないでいました。
今思い返せば、ハズバンドの実家にいるのだから、ご飯も作ったりすればよかったと思うのですが、当時は、晩ご飯のことを考えて買い物をするという気持ちの余裕すらなく、うつ状態に近かったのだと思います。
ハズバンドの実家にはの義父、義母、義祖母の3人がいます。
ほんとに、ハズバンドも含め、この人たちに助けられました。
私が思っていた以上にこの人たちは、チャッピーのことに影響されず毎日を過ごしていたのです。(これはとってもいい意味で!)
もちろん入院しているチャッピーのことはみんな心配していたし、気にかけていたけれど、それはそれ。
ご飯は美味しいものを食べて、甘いデザートも美味しく楽しくいただく。
入院中には節分もあって、もちろん、女3人で豆まきもして、年の分だけ豆も食べました。(とにかく賑やか)
それに、搾乳を3時間おきにしていた私に、お乳がよく出るようにとセッセセッセと美味しい栄養満点のご飯を作ってくれて、食べろ食べろといつもお皿に山盛りもてくれていて、チャッピが心配でげっそりするはずがブリブリ肉付きはよくなっていました。
祖母は旅行好きで、旅行ついでにチャッピーの健康祈願をしてきたと、あちこちのお守りを買ってきてくれました。
そんな人たちに囲まれていると、病気も吹っ飛んでしまう気分になるのです。
だから、私も、病院ではカウンセリグを薦められるくらい、先生からの話を聞いて泣いたりしていたけれど、家に帰ってからは不思議と冷静にチャッピーの状態を話していました。
何かの本で、(病気への最大の仕返しは優雅に過ごすことだ。)と書いてありました。
まさにこれだなと思うのです。
どんなに悲惨な状況であっても、気持ちを優雅に楽しく過ごすことはできる。
ハズバンド一家に教えられました。
チャッピーは退院してからも、当面は口から水も飲めなかったので、胃ろうから搾乳した私の母乳を1日6〜8回注入していました。
うんちも人工肛門にパウチを装着してそこから出すようにしていたので、ガス抜きやウンチの処理、パウチ交換など定期的に必要な状態でした。
けれど、その生活はいたって楽しくアクティブでした。
祖母の遺伝子を持つハズバンドはやはり過度の旅行好きで、一年に一回は海外へ、一ヶ月に2回は遠出をしないとフラストレーションが溜まる性分です。
退院した状態のチャッピーは、旅をしようと思うと本当に準備が大変で、私一人では絶対に出かけようなんて思わなかったと思います。
でも、なんとかして車の中に胃ろうを注入できるように工夫したり、休憩をしたりしながらも、周りの人が驚くだろうなと思うくらい色んなところに旅をしました。
ハズバンドはチャッピーが可愛くて可愛くてしょうがないようで、口から物が食べれないことや、うんちが肛門から出ないことなど関係ないようでした。
私はチャッピーが退院してきた夜、なんだか心配で隣に一緒に寝ていいものか迷っていました。
だけど、ハズバンドは迷わず抱っこして腕枕で寝ていたのです。
そんなふうに、そのあとも、抱っこしたり、たかい高いしたり、こちょこちょしたり、本当に普通のこと変わらずに接していました。
親戚が集まる食事の場では、食事が取れないチャッピーはどうしようかと、私は迷っていたけど、ハズバンドは当たり前のように胃ろうを注入しながら同席し、チャッピーをかわいそうと思う様子もなく過ごしました。
食事を取れないことよりも、親戚のみんなと楽しく過ごすことの方が大事だということで。
確かに、食事を取れないという事実は変えれないけれど、それを理由に親戚との距離をとるなんてことの方がおかしいのは当然ですね。
だけど、私はうじうじと考えてしまう方で、行かないという選択をして危うくもっと寂しい思いをさせてしまうところでした。
こんなふうにして、ハズバンドの何も気にしていない(ような?)子育てのおかげでチャッピーは、今は2歳、人が好きで、よく笑うおちゃらけ性格になっています。もちろん、泣きべそでもあるけれど。
これから、コルセット生活や何回もの手術をしなければいけないのだけれど、それを理由に人生の楽しみまでも捨てないようにチャッピーと過ごせたらと思っています。
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