東京生活10年を振り返るその⑥-2 野心を持った男が壊れて心療内科編 朝から晩まで続く動悸

前回の続き、悪夢のど真ん中。体に起こる異変に目を背けることが出来なくなって、ついに心療内科に行った。そこまでの壮絶すぎる物語。

たいていの人間はこんな体験、したくてもできない。

そういう点でいえば、やっぱり感謝している。

第4段階→得体の知れない焦燥感・不安感・突発的な動悸

心療内科送りまで残り1ヶ月くらい。何も起こっていないのに焦燥や不安を感じるようになった。

例えるならば、「受験会場についたとき、受験票を家に忘れていることに気付いたときの焦り」のような、強烈に血の気が引いていくあの感じ。

これは病的なものだったから、俺のメンタルが強いとか弱いとか、そういう問題ではなかった。

こんな状況下で、友達と楽しく会話したり、Lineを返信したりできるわけがない。日々のコミュニケーションにも支障が出るようになった

このころから「何もないのに緊張する」などのキーワードでGoogle検索するようになった。

第5段階→強烈な金縛り・起きた瞬間から止まらない息切れ

最終形態。気絶するように寝たあと、強烈な金縛りに襲われるようになった。何がどう影響しているかわからないけれど、毎日、数回にわたって起こった。

そして、金縛りから抜け出して目が覚めると、何時間経っても息切れが止まらなかった。ずっと心臓がバクバクしていた。朝から晩まで止まらないことも度々。

それに不安感や焦燥感もセットでついてくるわけだから、もう普通にしゃべったり電話に出たりすることができなくなった

特に、電話は急に音がなるから、それがきっかけで思いっきり動悸が起こり、胸を押さえてしゃがみこんでいる間に切れてしまうことが多かった。

息切れがひどくてベッドから動くことが出来なくなったとき、本気で自覚した。「これは絶対にまずい。まずいことが起こっている。

母親に相談・そして衝撃のカミングアウト

耐え難い体調の悪さ、病的な不安感に耐えかねて、初めて母親に電話で相談した。

突発的にかかってくる電話を対応することは不可能だったけど、自分からかけることはまだ可能だった。そして、相手が家族であればなおさら。

「俺、もう東京でやっていけないかもしれない。疲れた。」そんな内容だった。

もちろん自分の体調に異常が起こっていることは伝えたが、俺が聞いて欲しかったのは「体調不良を脱却する方法」ではなく、「この耐え難いストレスからどう逃れたらいいのか」だった。

そして、衝撃の回答をもらう。

母親:よく聞いてね。ずっと隠してたけど、お母さん、ずっと前からパニック障害っていう病気なの。あなたが上京するかしないかで揉めていたあの頃から。あなたの症状が、私にとても似ているから、今すぐ心療内科に行ってきて。

目が覚めたというかなんというか。心療内科やら精神科なんていう選択肢がまったく眼中になかったので、なんとも言えない気持ちだった。そういった類の物とは無縁だと思っていたから。

でも、「心療内科にいけば何かわかるかもしれない」という期待感は確かにあった。

心療内科に行った

特になにも考えず、家の近くにある心療内科にいった。

そして、自分の体調だけでなく人格や人生の価値観などすべてを調べる50問のアンケートに回答した。

そのアンケートを読みながら、医者と少し会話した。

「うん、君は自律神経失調症だね。厳密には自律神経失調症なんていう病気はないんだけど、総称してそう呼んでる。まずはその壊れた体内時計を元に戻さないと。」

あっさりと言い渡された。でも、気が楽になった。ずっと起き続けていた一連の異変は、気のせいではなくれっきとした病気(病気ではないんだけど)だということがわかったから。

「俺のせいじゃなかったんだな…」と。

地味な治療がはじまった

まず最初に俺に課せられたミッションは、「体内時計を元に戻すこと」だった。睡眠薬を飲んで毎日同じ時間に寝るようにした。

これを年単位で続けていった結果、睡眠薬がなくても同じ時間に眠気が来るようになった。そうしたら睡眠薬の投与はおしまい。

日中に動悸が起こったら精神安定剤を飲む。最初は症状が出ないように毎日決められた数だけ飲んだ。効く薬と効かない薬があるから、医者と話し合って色々試した。効きが悪い薬をもらってしまったときは地獄だった。

効きすぎる薬をもらうと寝てしまうので、何度も話しあって、色々試して、自分に一番合っている薬を見つけた。もう4年くらい、それしか飲んでいない。

体調が良くなるにつれて、毎日飲まなければいけなかった薬が頓服になり、2週間分くらいの薬で2ヶ月くらい持つようになった。

何年も何年も付き合ってくれた心療内科の先生に本当に感謝してる。出会えてよかった。ありがとうございます。

あれから7年経って

あれから約7年、未だ完治には至っていない。

でも、当時の体調の悪さが100だとしたら、今は20(5分の1)くらいまで回復している。普通の人と変わらず生活できる。

頭痛持ちの人やお腹が痛くなりやすい人と同じように、体調が悪くなったら薬を飲むだけで、それ以外は何もみんなと変わらない。体調が悪くなってきていることも隠すことができる。だから、誰にも気づかれない。

勘違いしている人がいるけど、安定剤や睡眠薬は高揚したりキマッたりするようなものではない。これは結構統合失調症にかかっている女が言いがちな気がする。

「薬物におぼれている私自慢」「普通じゃない私自慢」みたいなものだと俺は思っているけど、安定剤を飲んでハイになるなんていうのは完全に虚言。心拍数を下げて動悸を押さえたりするような地味な効果しかない。

だから、自分が自律神経失調症にかかっていること、お薬を持ち歩いていることは7年間ずっと黙っていた。「そういう目」で見られるのが恥ずかしかったから。

まとめ

動悸が起こって血の気が引いて不安感に包まれている時間がとにかく地獄だった。何もできなかった。

俺の身体は完全に壊れた。でも、それでもまだドラムはやめなかった。まだ心は折られてはいなかった。

治療しながらドラムは続けていた。だが、そこに忍び寄る腱鞘炎の悪魔。

身体が内側と外側両方から壊れた。

「あっもうドラムやりたくないや」と思うのはもうちょっと先の話。



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