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自分を信じるということ
もっと気軽にnoteを書いてくればよかった。
折にふれてそう思う。
特に転職の決まった10月の激動を総括するnoteを書いていないことは、自分にとって大きな損失となっているだろう。
かと言って、その月日がなくなる訳ではないのだが。
自分の細かい心の動きを記していくことは、もっと肩ひじ張らずに行ってよいことなのだ。
なのに、心理的障壁が生じたのは、なぜだろう?
転職が決まってから、noteを書くのが怖くなった。
スカウトしてくれた方が、私を面白いと言ってくれて、アウトプットを推奨していただいたのに。
もしかすると、初めて「どこかの誰か」ではなく「特定の誰か」の目を気にしたものを書かなくては、と思ってしまったのかもしれない。
「こけだま」で発信すべきか、「本名の自分」で発信すべきか。
最近この問題もよく考える。
はっきり言って、本人以外には「正直どっちでもいいw」問題だろう。
転機は、まだ発表は出来ないけれど「こけだま」宛てに初めて、小さなお仕事をいただいたことだ。
それを私は本名の自分でして、本名の自分の実績にしたかった。
でもその仕事を得たのは「こけだま」だった。
しかし、よく考えてみよう。
最初はTwitterのアカウント名だったとしても、書く描くことのペンネームのようなものを持っているのは、実は結構面白いことなのではないだろうか?
少なくとも、今までの自分には無かったタグである。
やってみて違和感をぬぐえないようだったら、いつでも再検討すればよい。
どうせ些細なコトなのだから、もっと気軽にステップを踏むべきなのだ。
こうして今あまり意味を成さない文章を、とりとめもなく放出している自分がいる。
それが「こけだま」なのか「本名の自分」なのかは、私にもわからない。
でもそれでよい。
名前が何であろうと、私は私、変わらず自分であり続けるのだから。
ロールモデルはない、私は「私」を生きよう。
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。
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