ひねくれもののオススメまつり
本を読むのが好きだと伝えると「オススメの本は?」と聞かれる。
本でも本以外でも、私は誰かに何かをオススメするのが苦手だ。これまでの人生で自分の好みがどうも少数派らしいという事実に気づいたので、相手にとって有意義な話ができない…と申し訳なく思うからだ。
無印で好みの茶葉を見つけた。これはいいぞと特別な時に大切に飲んで、なくなってきた頃に同じものを買いに行くとなくなっている。私が好きな茶葉はどうやら人気がなかったらしい。
ドラッグストアで好みの香りの消臭剤を見つけた。これはいいぞと購入し、なくなってきた頃に同じものを買いに行くとなくなっている。5種類あった内の人気の香りを残して私の好みが廃盤になったのだ。
販売中止、廃盤、リニューアル。
この世の中は人気者を残して目まぐるしく変わっていく。淘汰され消えゆく少数派がさらに愛おしくなり、私は無自覚にも自覚的にも少数派がやめられない。
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人と同じものを選びたくない。4歳頃からその感覚があった。
みんなが好きだと言っているセーラームーンのキャラクターは選ばない。合唱コンクールではハモリの方がかっこいい。流行っている服装と髪型はしたくない。自分の趣味嗜好が本来少数派であることと、このひねくれもの感覚が相まってさらに人生のベクトルは違う方向を走った。
少数派でひねくれものの私も勇気を出して人にオススメをする時がある。選択肢の中でもメジャーなアイテムを提案するとだいたい「あぁー見たことある気がするへぇ〜」といった具合で、胃腸で消化されなかった食物みたいな気分になる。本気で自分がいいと思うものをオススメすると、やはり不思議な空気になって僕らの会話は一瞬宙を彷徨う。
ほら。だから言ったじゃないか。帰り道で何度も脳内で再放送してはふてくされ、音楽になぐさめてもらうことになる。
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自分がいいと思ったものをいいと言えたのは、インターネットの世界だった。
あの映画のあのシーン、この漫画のこのセリフ、このお菓子が、このしぐさが、たまらなく好きだと伝えると世界のどこかから「私もそう思う」「何それ気になる買ってみよう」「その作品を作った者ですこんにちは」と、実生活では返ってきたことのない反応が返ってきた。
それは多様性を認め合う時代の流れでもあり、あらゆる人と出会うことで起こった思考回路の深まりでもあり、ネットモラルの理解でもあり、色んな要素が合致して得た世界だったと思う。
ここでは好きなものを好きだと思う自分を許せた。
そうしてTwitterでの「ひねくれもののオススメまつり」が始まった。
少数派が胸を張って、ひねくれているからこそ言える魅力や好きな部分を好きなだけツイートした。ツイートすればしただけ、作品や自分のことを好きになった。
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先日、TVerで『本屋さんに住みたい。』という番組を見た。ピースの又吉さんが吉祥寺の百年という本屋さんに泊まる一晩を眺める回だった。
幼少期に本好きだった私がいつの間にか本を読まなくなり、もう一度本を読むきっかけをくれたのがピース又吉さんのYouTubeとオードリー若林さんのエッセイだった。お二人は本の世界の心の師匠。
『本屋さんに住みたい。』の中で師匠がたくさんの本を手に取っていく。その中の2冊のタイトルを見て変な声が出た。数日前に自分が本の感想をツイートしていた本だった。
これらはTwitterで知って購入した本。こんな奇跡もインターネットの世界なら繋がり起こり得る。
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又吉さんのYouTubeを見ていると、母が「良さは理解できないけどアンタが好きそうなやつだね〜」という目で見てくるし実際にそう言われる。「私はめちゃくちゃ面白いと思うけど、これを面白いと思わない人もいるんだなぁ」と当たり前のことを思ってしまう。又吉さんのYouTubeも、ある意味では『ひねくれもののオススメまつり』なのかもしれない。
明日は映画を見に行く。
車で15分と電車で30分かけた場所でしかやってない映画だ。少数派とひねくれものの香りがする。
私は好きだと思ったらつぶやける場所がある。
胸を張って帰りたい。