【家族の生活史】死にたいときに死にたいって言えないんじゃ、家族としていちばん横で支えてあげたかったのに、できないじゃん。
本記事は、あくまで個人の体験談です。語り手の言葉には、個人の経験や感情に基づく表現が含まれており、必ずしも一般的な見解や事実を反映しているわけではありません。また、プライバシーの観点から、内容を一部変更している場合もあります。
本記事をお読みいただく際には、個々の状況や背景の違いを尊重する視点をもって受け止めていただければ幸いです。
また、制度などの正確な情報については、専門家の意見や公的機関の資料などをご参照いただくことをおすすめいたします。
私、すごく家族のことが大好きで。「うちの家族って最高だな」ってずっと思ってたんです。
今は結婚して、両親と離れて暮らしてるんですけど、二人でつくってる家族に対しては特に悩むことがあるわけでもなく。喧嘩はあったとしても、「家族はいいものだ」っていうことを疑うことはなかったんです。それは今もそんなに変わってはないんですけど。
私のもともとの家族は、父がいて、母がいて、私がいて、3個下の弟がいる4人家族だったんですけど、弟が2年前くらいに亡くなってしまって。自ら死を選んだんです。
そのときがクライシスというか。私もそうだったと思いますし、両親も、これまで4人で仲良く幸せにやってきたつもりだったけど、「何かが間違ってたのかもしれない」って、思っていたと思うんですね。
私は私で、姉として、弟の悩みに対して寄り添う姿勢をもっと見せることもできただろうし、してあげられることってもっとあっただろうし。家族三人で話し合いながら、彼を助けることもできたはずなのに、引っかかりを覚える間もなく、喪ってしまった。
そのことに対して、すごく罪悪感とか、「もっとこうすればよかったんじゃないか」みたいな気持ちを抱えるようになった。私も抱えているし、両親はきっともっと抱えているだろうなって、ここ2年くらい思っています。
なので、「自分の家族は最高」って信じて疑ってなかったけど、「家族としてあるべき姿が別にあったのかもしれないな」っていうことを考えるようになったのが、ここ数年でした。
-- それはDさんだけじゃなく、お父さん、お母さんも、一緒に考えてるような。
腹割って話をしたわけじゃないんですけど。気に病み続けているということは、節々で感じるところがあります。たまに父親が書いてる日記を盗み見たりしてるんですけど(笑)そういうところで、「こういう思いがあるのかな」って感じたりとか。
前に読んだ本の中で、「死にたい」とか、相手を心配させるようなことって、身近な家族であればあるほど言い出しにくいって書いてあって。それは、すごく腑に落ちた。
その一方で、「死にたいときに死にたいって言えないんじゃ、家族としていちばん横で支えてあげたかったのに、できないじゃん」みたいな。無力感みたいなものは、その本を読んだときに感じました。「じゃあどうしろっていうの?」って。
-- 語れる範囲でいいのですが、弟さんのことについて、もうすこし聞かせてもらってもいいですか?
弟は面白くて可愛い子なんですけど、変な子ではあったんです。集団の中心に入っていくよりは、ちょっと後ろから遅れてついていくみたいな感じの子で。学校生活のなかでも、友だちとうまくいかなかったこととか、先生とうまくいかなかったことは、たびたびありました。
で、高校3年生の夏ぐらいに、急に「美大に行きたい」って言い始めて。それまでぜんぜんアートの勉強はしたことがないし、やりたいなんていう話も聞いたことがなかったので、家族はびっくりしたんです。でも、話を聞いてると本当にやりたいみたいだし、これまでそんなに「何かをやりたい」って積極的に言うことがなかった子だったので、「じゃあ応援しよう」ってことになって、応援していて。
でも美大って、やっぱり高三の夏にいきなり勉強を始めてもなかなか合格しないので。一年目は受からなくて、一浪して、地元の画塾に通いながら二回目の受験をして、これもダメだった。
じゃあ三年目どうする? ってなったときに、実家は関西のB市なんですけど、神奈川にある予備校に通いたいって彼が言い出して。そこから一年間、一人暮らしをしながら浪人生活をしてたんですね。なので、家族からも離れて一人で絵に向き合う時間が長かった。
うちの母親はけっこう心配性なんで、毎朝電話をして話していて。彼はもともと情緒に波があるタイプで、「つらいよ」って言ってる日もあれば、「僕はできる」みたいな日もあって。
私は「大丈夫かな」って思いながら見てたんです。だけど、その一年間の浪人生活が終わって、それでもダメで、じゃあもう一年頑張ろうかってなった矢先くらいに、死んじゃった。
遺書もあったんですけど、私はちょっと読む勇気がないので、中身はぜんぜん読んでなくて。だからもしかしたらそのなかに、何かしら答えみたいなものが書いてあるのかもしれないですけど。
両親から伝え聞いた話では、美大に受からなかったことももちろんあるし、それ以前に、これまでの学校生活でうまくいかなかったこと、「あのときの誰々くんに言われたあれが嫌だった」とか、「あのときの◯◯先生に言われたあれがすごく悲しかった」とか、そういうことが積み重なって、ふっと限界になったんじゃないか、みたいなことはあるのかな、って感じです。
-- 聞かせてくださってありがとうございます。その出来事があって、「普通の家族だったのに」みたいな気持ちが、Dさんのなかでも湧くようになったんでしょうか?
そうですね。普通の家族だったのがそうじゃなくなっちゃった。最高だったのがそうじゃなくなっちゃった、みたいな気持ちはある。
それに、弟を喪ったことに対して両親が思い悩んでいることを私はわかってるのに、そこに対して積極的に介入できない。両親の悲しさに、子どもとしてはもっと寄り添ってあげたかったけどできてないってことに対する、負い目みたいなものも感じるようになりました。
-- そうか。決して責めているわけではなくお聞きしたいのですが、それができないのは、なぜだと考えていますか?
私って、すごく両親から可愛がられて、守られてきたんですね。庇護下に置かれて育ってきていて。なんか、その状態から抜け出せない。「親から守られる娘」としての自分から、なんか抜け出せない。そこを抜け出して、「両親のことを私が守る」みたいな、役割を変えるのが、ちょっとむずかしい。
-- ああ。
それはなんでなんだろう。なんか、照れくささみたいな気持ちが、もしかしたらあるのかもしれないし。私がそういう動きをしたら、たぶん両親は泣くんですよ。泣くのを見たくないみたいな気持ちもあるのかもしれない。だからあんまり、一歩踏み出せなかったのはあります。
-- そうか。Dさんのなかで、「娘」ってどういう存在なんですか?
これもいろいろだなと思ってて。大学生になって、他の家族の話を聞いて、けっこう衝撃を受けたんです。私が母親から感じるのは、100パーセント愛。例えば、私が何か悪いことしたとしても、最終的には許してくれて、受け止めてくれる。そういう信頼感があるんですけど。世の中には、条件付きで愛されてると感じてるような人もいるんだって知って。
そういう意味でいうと、守ってくれる家のなかでただのびのびと、何も気にしないでいられる。「こういうことしたら嫌われるかもしれない」みたいな恐れがないでいられるのが、家族のなかでの、娘としての自分だったかなって。
今も、それが別に損なわれたわけじゃなくて。ただ私が勝手に、それ以外の役割も果たさなきゃいけないのに、果たせてないと思っているだけなのかもしれないんですけど。
-- 「守られる娘」という役割から出たら、何かが崩れてしまう?
ですね。うーん、なんか、断られる気がする。「そんなことしなくていいよ」って。それを乗り越えられないのは、なんでだろうな。うじうじ考えてないで、ぱっと言ってみたら、もしかしたらできるのかもしれないですけど。
…でも、わからないのかも。そういう場面になったときに、どう振る舞えばいいのか。どんな顔をして、どういう声で、何を言ったらいいのか。両親を慰める、みたいな立ち回りをしたことがないから。
-- そうか。
今、考えてることとしては、今私が結婚して、夫と一緒にいて、「将来子どもがほしいね」とかっていう話をしていくにあたって、「じゃあ私ってどうあればいいんだろう?」みたいなことは、見失った感じがある。
私は、「自分が両親にされたことを、自分の子どもにしてあげればいい」と無条件に思っていたし、私が今幸せなのは、両親がそうしてくれたからだって思っているんですけど。でも、同じように育てられた弟はうまく生きていけなかった。そう考えると、私が正解だと思ってたことは、正解じゃなかったのかもしれない。
「じゃあ、どういう家族をこれからつくっていけばいいんだろう? どういうスタンスで子どもが生まれたときに導いてあげたらいいんだろう?」みたいな。不安感、恐怖感みたいなものはもつようになったかもしれないです。
でも、「正解は別にないから、わかんないままでいるしかないんだろうな」っていう諦め感もちょっとある。答えをすごく求めてるというよりは、「宙ぶらりんで不安だけど、やっていくしかないのかな」みたいな感じです。
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