伝記小説は尻すぼみ? マリオ・バルガス・リョサ 『ケルト人の夢』
マリオ・バルガス・リョサ『ケルト人の夢』について。
マリオ・バルガス・リョサは、1936年生れの南米ペルーの作家で、2010年のノーベル文学賞を受賞しています。日本では、日系ペルー人のペルー元大統領アルベルト・フジモリ氏との大統領選で敗北した事でも知られています。リョサの作品の特徴は、長大にも関わらずとにかくパワフルで、最後まで一気に読ませてくれるストーリーテーリングが魅力です。僕はリョサの大ファンで新作が翻訳されると必ず読んでおり、このnoteでもすでに三冊紹介しております。
・真面目でシリアスな社会派官能小説 『シンコ・エスキーナス街の罠』
・犬にアレを噛まれたぜ!な小説『子犬たち』
・悪い娘に悪戯されてみたい リョサ『悪い娘の悪戯』
リョサの作品のほとんどはラテンアメリカ(特にペルー)を舞台しているのですが、今回紹介する『ケルト人の夢』は、英国の外交官・アイルランドの人権活動家ロジャー・ケイスメントの生涯を描いた小説です。
と言うことは、ラテンアメリカが舞台ではないのかな?と思ったのですが、彼は英国の外交官としてコンゴとアマゾンに滞在していたとの事。そして、そこで行われていた悲惨な植民地支配を告発し、一躍時の人となりナイトの称号も貰っています。(同じ時期に船員としてコンゴにいた作家コンラッドは、ここでの経験を元に善悪についての名作『闇の奥』を書いています。その悲惨さはこの『ケルト人の夢』でも読むことが出来ます。)
この小説は、そのアフリカと南米での生活の後、アフリカやアマゾンの先住民が受けている虐待は、アイルランドがイギリスから受けている迫害と同じではないか!?と考える様になり独立運動に取り組む始める!という物語です。
ロジャー・ケイスメントってどんな人なんだろう?と思い、読んでいる最中にwikipediaで調べたところ、「アイルランド共和国を樹立するために起きた“イースター蜂起”の武器調達のためドイツに行き、その帰りに逮捕され絞首刑となった。」とあり、ちょうど小説の中間部分を(アマゾンでの植民地支配を告発した辺り)読んでいたので、この後は読み進めても悲しいことしか起きないのか・・・と途中で読むのが辛くなった。というのが正直な感想です。
ですが、この小説はリョサのノーベル文学賞の受賞理由である「権力構造の地図と、個人の抵抗と反抗、そしてその敗北を鮮烈なイメージで描いた」と言うのがそのまま当てはまる作品で、主人公があまりにも純粋で無防備に自分の信念を貫こうとし、見事に権力に敗北していく過程が見事に描かれており、物語の終盤に向けて緊張感は高まっていきます。
史実を扱う物語は、”誰の視点から語るか?”、”どこからどこまで語るのか?”など、語り口を工夫しないと、どうしても盛り上がりに欠ける事が多くなってしまう様に思います。(人生の終盤にクライマックスがあるとは限らないですからね。。。)
ところで、伝記のようにオチが分かっている物語を読むという行為は、クラシック音楽を楽しむ行為と少し似ている様に思いました。クラシック音楽の楽しみ方の一つとして、既に知っている音楽の様々な演奏を聴きその差異を楽しむ!というのがあると思います。
歴史小説や伝記小説が好きではなかったのですが、既にオチが分かっていることをどのように語るのか!?という観点から楽しめば面白いのかな?と思いました。同じ歴史や人物を語るにしても、それらから何を感じ取るか、語り手の数だけ物語があるのだと思います。(『ケルト人の夢』では、リョサの国家や宗教などの権力に対する考え方が色濃く表れた伝記小説になっています。)
楽譜に書かれ再現される音楽では、異なった演奏者に再演してもらう時に、初演の時には作曲者でも気づかなかった音楽の特徴に気付くことも多いです。(これと同じ様に自分の伝記を異なる人に書いてもらったりしたら全然違うんでしょうねー。)
下の二つの動画は、同じ曲の異なる演奏になります。同じ楽譜から演奏された音楽なのですが随分と異なるものです。その様な差異は多くの人にとっては些細なことなのかもしれませんが、その微妙な差異を楽しむ!というのも再現音楽の良さの一つなのだと思います。良ければお聴きください!
〈 XI. Subtle “曖昧さのための”〉from 《17 Etudes for Piano, Keyboard and Movie (2017)》
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?