サーシャ・フィリペンコ『理不尽ゲーム』
サーシャ・フィリペンコの『理不尽ゲーム』について。
サーシャ・フィリペンコは、1984年生まれのベラルーシ人作家です。2014年に発表された『理不尽ゲーム』が高く評価され、世界中の言語に翻訳されています。
今回紹介する『理不尽ゲーム』は、作者の母国ベラルーシのルカシェンコ大統領による独裁国家の理不尽さが軽妙に描かれた小説です。主人公である音楽学校のチェロ専攻の男子学生が、群衆事故に巻き込まれ昏睡状態になり10年に目覚めるのだが。。。!というのが大まかなあらすじです。
ベラルーシは欧州最後の独裁国家と言われており、不正選挙や、反体制派への迫害など、この本のタイトルの通り政府が行う“理不尽”な出来事に溢れているそうです。ソ連崩壊後、ウクライナとは異なりロシア化を目指していることもあり、ロシア頼みの政治を行っています。(最近では、ロシアのウクライナ侵攻を支持している数少ない国の一つであるといことで知られていると思います。)
「理不尽ゲーム」というのは、実際に起きた理不尽な話を順番で語り、ネタが尽きた人が負け!というゲームで、物語の中に登場します。独裁政治の下で起こる作り話のような理不尽な出来事をみんなで笑うことによって、何とか正気を保とうとしているように見えます。
理不尽ゲーム サーシャ・フィリペンコ (著), 奈倉 有里 (訳)
ただ、国民はこの理不尽な状況に慣れ「何をやっても無駄!」と無気力になっており、主人公と同様に国全体も昏睡状態になっているとも言えます。
そんな中、主人公の祖母は、医者も匙を投げた主人公の回復を信じ待ち続けるのですが、いつか国も昏睡状態から覚めるのではないか!?(何か良い方向に変化する)という作者の希望のようにも感じられます。
理不尽な環境というのは、人々の生活だけではなく芸術にも大きな影響を与えている様に思います。社会主義リアリズムという不本意な環境の下で作曲を続けたショスタコーヴィチや、ナチスの下で退廃芸術として迫害された作品などが挙げられると思いますが、これらの多くは真似できない強さがあることが多い様に思います。
音楽で“理不尽”をそのまま表したものはないかなー?と考えたところ、ジェルジュ・リゲティの「アヴァンチュール」という作品が思い浮かびました。ダダイズムの音響詩から大きな影響を受けた作品で、3人の歌手は笑ったり泣いたり奇声を発したりと、そこには秩序といったものは見当たりません。
リゲティの家族がユダヤ系という理由だけで収容所に送られ命を落すと言った理不尽の極みのような事を考えると、パッと聞いた感じ出鱈目に聞こえるこの作品は、私たち(少なくともリゲティ)が生きる環境はこの作品と同じ様に“理不尽”(もしくは不条理)なのだと気づかせてくれるように思います。(このような音楽作品は極めて珍しいです。)
政治に限らず、人生には理不尽なことは少なくない様に思います。その様な理不尽さに対して“創作”というのは数少ない有効な手段の一つなのだと改めて感じました。『理不尽ゲーム』は、そのような理不尽に対して誕生したとても強い作品です。
ところで、自分の作品には不条理な曲はないと思っていたのですが、それっぽい曲が一曲ありました。理不尽な状況を表すのではなく、聴衆に対して何が起こるか予期させないために、不条理劇やシュールレアリスムなどの表現方法から少しアイデアを借りた作品になっています。上で紹介したような、過酷な環境で書かれた作品と比べると、“強さ”より“コミカル”が勝った作品です。良ければお聴きください!
〈 1. オープニング "Opening"〉from
《24 Songs for Voice and Piano (2017-2019)》
Music & Lyrics: Koji Takahashi
Voice: Noriko Yakushiji
Piano: Yuko Hironaka
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