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『幸せな孤独な薔薇』稽古場で知る傷心

(上の写真はシアターキューブリック緑川憲仁さん)

演劇がコロナ禍で甚大なダメージを受け、さまざまな人が苦悶している。だけど演劇関連の取材はあえて避けてきた。2月の終わり大森カンパニープロデュース『更地SELECT SAKURA V』があり旧知の辻沢杏子さんから招かれ観劇したのだけれど取材にはしなかった。コロナ禍、大好きな演劇にからめて近すぎる人を取材すれば過剰な思い入れが入ってしまうから。

しかし3度目の緊急事態宣言が発出、やはり演劇の現場に行かなければとの思いが強くなったとき思い浮かんだのが過去『帰ってきたキューピッドガールズ』取材でお世話になったシアターキューブリックだった。昨年、劇団の20周年記念として上演予定だった作品が新型コロナウイルス感染拡大の影響で1年延期となり、やっと上演にたどり着き稽古も佳境というタイミング。この1年、作品に携わる人々はどうやって過ごし、生き抜いてきたのか。

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夜9時ごろ東京・江東区にある稽古場『時々海風が吹くスタジオ』を訪ねると、約1週間後に本番を控え通し稽古が行われていた。

そこで目の当たりにしたのは、作品づくりに生きる人たちのひたむきさと強さと、そしてありとあらゆることへの謙虚な生き方であって、それは演劇が彼ら彼女らにもたらしたものであるに違いなかった。

コロナ禍、実は芸能を報じる側としても苦渋の時間が続いている。果てることなき無力感、焦燥感、孤独感。朝起きてもジャーナリストとして生きている感覚がせず、もはや死んでいてここは死後の世界じゃないか?とさえ思う日々の繰り返し。エンターテインメントを取り巻く環境は激変した。

劇団の創設者でもあり演出の緑川さんはこの1年、「コロナ関連のニュースでも取り上げられる業種が偏っていて、文化芸術がいかに日本社会の中で忘れられやすいものなのかということに傷つくことが多かった」と話した。その言葉にハッと気づかされた。なぜ芸能を報じる側である自分にとっても、コロナ禍であることがこんなにもしんどいのか。それは単純に芸能のネタが乏しいとか記事のPVが上がらないとか、そういうことよりも何よりも自分自身が、芸能がこれほど忘れられやすいものだったんだ、という抗いがたい現実に「傷ついている」からなのだ、と。

コロナ関連のニュースは生存に直結する最優先にすべき大切な情報であることはもちろん、語弊のある表現かもしれないが、いまやコロナ関連の記事の一部はある種のエンターテインメント性を帯びている部分があると思う。

これまで30年、芸能エンタメの撮影に始まり取材、編集までしてきた人生はいったい何だったのか?という自分の人生に対する疑念と失望は、生きる活力を奪うに十分だ。

でも、目の前に広がっている稽古場で生きている人たちは、なぜそれでもこれほどまでにひたむきに生きることができているのか。それは、作品を生きているからではないだろうか。それなら自分はそれを伝えることに生きよう。いや、そのつもりでここにいるのではなかったか。

「おれは取材者なんだ。どんなときでもどんなことでも書くことで生き抜いてきたじゃないか。書けばいいんだ。書くぞ」

帰りがけの車内でひとりつぶやき、テープ起こしや写真のレタッチを久しぶりに楽しみにしている自分がいた。

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