40年後のポートレート
NewJeansの来日公演でハニが松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌ったことがネットで話題になっていた。1980年の夏まだ私は高校生で、初めてポートレートを撮ったのがこの曲のリリース時期だったのを覚えている。
ある日、中学のクラスメイトだった辻沢杏子から電話があってオーディションを受けるので写真を撮ってほしいというのだ。
撮影は江戸川の土手で行うことに決めた。それまでスナップ写真しか撮っていなかったのでアルミホイルでレフ板を自作し、BGMのカセットテープを編集したり用意を整えて撮影に臨んだ。カメラは高校生の分際で所有していた黒鏡胴のプラナーC T*80mmF2.8付きハッセルブラッド500CMがメイン、サブはキヤノンF-1だった。
撮影は2時間ほどで終わり、後日出来上がったプリントを小岩のステーションセンターで渡すと彼女は大事そうにしまって「ありがとう」と微笑った。
それからしばらくして再び電話があった。
「来週の『週刊プレイボーイ』に載るの」
オーディションに無事受かったようだ。デビュー前の新人を特集した白黒グラビアで辻沢が嬉しそうに笑っている。やがて主演ドラマ「翔んだライバル」がフジテレビ系でスタート、同じ「週刊プレイボーイ」でも今度は表紙を飾るようになった。そして遅まきながら歌手デビューも果たし各種新人賞の候補になる。湘南でMVを撮影した1stシングル「さよならMr.」は第3回メガロポリス歌謡祭で荻野目洋子、長山洋子、渡辺桂子らと「優秀新人エメラルド賞」、第14回銀座音楽祭で審査員特別賞を受賞した。
その後はドラマや映画を中心に俳優としての活動を主軸にしていった。
彼女が芸能界でキャリアを重ねているあいだ、私は私で人生が進んでいった。しばらく会うことのない期間が過ぎ、再会したのは私の母親が余命を宣告されてからのことだった。中学の頃から家に遊びにきた彼女を見て母親は「きれいな子だね」とよく褒めていて、芸能界にデビューしてからも出演しているドラマを観ていたようだ。
「お前が連れてくる女の子の中であの子が一番きれいだった。もう一度、会いたいね」
ドラマ収録などで忙しいスケジュールの合間を縫って病院に見舞いに来てくれた。オフクロが旅立つ3週間前のことだ。
ふたたび時は流れた。
2019年の初夏、仕事で辻沢杏子を撮った。あの1980年の夏から40年近い時間が過ぎていたけど、40年前よりはよく撮れたんじゃないか。
写真の感想は、まだ聞いていない。
そう言えば40年前も、写真の感想は聞いていなかった。
また撮る機会があれば、そのときこそ感想を聞こう。