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ユーロビートがブルースにきこえる

順番が逆になった。5月。せっかくありささんにモデルになってもらったのにこのテーマで文章を書きあぐねているうち季節が夏になり、季節感的に無理があるのでnote作るのが秋になってしまったというわけ。

ありささんにはこの1年と少し、想い出の場所にご一緒いただいた。皆さん彼女を美しいモデルさんだとおっしゃるが私からすると美しいモデルさんはたくさんいて、珍しくはない。ありささんを撮りたいと思うのは彼女の誠実な人柄と、共感力と瞬発力のともなうモデルだからだ。そして、声がとても好きだ。外見よりもこの声を撮りたいと思ってシャッターを切ってきた。

東京駅界隈は想い出が多すぎて困る。生まれて初めてバイトした東京信用保証協会は八重洲だったけれど、学生時代バイトしたボストン・コンサルティング・グループは大手町にあったタイムライフビル、社会人になって初めて働いた住友銀行も大手町、ブライダル会社で営業課長をしていたとき通った現場は和田倉噴水公園レストラン、そして初めて働いた新聞社の産経も大手町と何かと縁があるのだ。

中でも銀行は日本がバブルに向かう時期にあって景気がよく、良子(妻)と出会ったのもその時期だったのでとくに印象に強く残る。

青山のオンラインセンターに2ヵ月配属されたあと、東京交換事務部に異動になった。今とは比較にならないほどギュー詰めの総武線快速で毎日この東京駅に通い丸の内北口の横断歩道を渡った。

それなりにしんどいこともあったはずなんだけど、私は構造的に便利に設計されているようで楽しいことしかメモリーに残らない仕組みになっている。

若さとキャリアの割に給料は良かった。とくにボーナス。当時住友は収益No.1で半額振込、半額が部長から手渡しだった。支給日になると部長室の前に行列ができ、女子行員なんかは柏手を打っている。部長と面談のうえもらうのだが、正直何を話したかなんて覚えていない笑

写真学校を出たくせに銀行に入ってしまい、カネまわりだけは良くてポール・スチュアートやブルックスまたはほかのハイブラのお店に足繁く通ってスーツもネクタイもシャツも靴も2ヵ月はローテーションがまわってこないぐらい買った。遊び着はメンビギとかを揃えて銀行のロッカーに入れておき、終業とともに着替え夜の街へ出かける。流行りの店でユーロビートに揺れる。肩でリズムをとるしかできないほどフロアは満員だ。そのあと行きつけのおしろいの匂いがする店で女の子と飲んだくれる。

そんな意味のない日々がただただ、楽しかった。

でも、ある年末にフェーズが変わった。
忘年会で男子行員はおニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」を出し物として歌ったのだが、そのあと記念写真の撮影を任された。ハスキーにライカR3をのせ、ストロボは2灯きちんとセッティングした。ミノルタのメーターで露出を測りファインダーをのぞく。
一連の所作に「すげー」「本格的」なんて声が上がる。
「志和君は写真のプロだからね」
課長の笑顔にピントを合わせた瞬間、弾けたんだ。

こんなとこで何やってんだ?

そこからだ。
人生の迷走が始まったのは。

私は一つの物事をかっこよく貫くということができない。子どもの頃からそうだ。度重なる引っ越しのたび友達関係さえ変わってきた。

まっすぐ生きられる人がいまだ羨ましい。

でもね、それはそれでいいんだよと思うしかない。
自分の生き方ぐらい、自分の自由にしたいじゃない。
自由ってどういうこと?
喜びと感謝のうちに日々を生きることだと思う。
喜びと感謝を感じ取れる日々ってきっと自由だし、
喜びと感謝は自分を自由にさせてくれるから。

撮影の最後に、7年前まで通っていた新聞社のビルへ寄ってみた。夕刊の担当だったので朝8時過ぎぐらいには出社した。
芸能仕事でのキャリアと人脈を買われての採用だったから、取材はインタビュー中心に日に3件、4件とこなした。

ここでも、いい想い出と感謝しかない。

売り込みで来社する芸能人を、この階段の場所で何百人と撮った。その同じ場所で、ありささんを撮った。

撮影はここで終えた。

この日はもうひとつ、ありささんをお連れしたいところがあった。
浅草の劇場へ。

開演まで芋羊羹で時間をつぶした。

子どもの頃、モーニング娘。をよく見ていたと聞いた。
だから、ぜひこの人に会わせたいなと思ったんだ。

小川麻琴さん。とてもとても素敵な役者さんになった。
右端の余計な人物は無視してください。トリミングする勇気がなかった笑

私は昔から、大切な人と大切な人とを会わせるのが好きだ。
少しでも接点がありそうだと紹介したくなるのだ。
そしてそこでもしも新たなことが始まればなおいいし、始まらなくても人と会ったことが想い出に残るのって素敵だと思うから。

ありささんとさよならしたあと、初めて編集者になった「総合報道」の入っていたビルへ一人で寄った。もう社長も主幹もこの世から旅立って、会社も経営が変わって移転したことは知っていた。
ここにも、いい想い出と感謝しかない。

さてロートルの昔話はここでおしまい。もうこんな私的な昔話に素敵なモデルさんを付き合わせることはやめる。ありささんは私にとってつねに最高のモデルだった。宝の持ち腐れとはこのことだ。

もしまたありささんが私に写真を撮らせてくださるなら、そのときは新しいストーリーのヒロインになって欲しいと思っていて。ひさびさ本当に物語を書きためていて。ありささんのイメージでアテ書きしているから他のモデルさんじゃだめなんだ。生きているあいだに実現するといいなあ。

私ははなはだ不完全でひどい人間だが、出会った人にはいい想い出と感謝しかない。それですべてを綺麗事として美化するつもりではないのだが本当に、いい想い出と感謝しかないのだ。

これからも、きっと


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