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1976 Basket Case /Monica


たとえば1976年にはこんなことがあった。アメリカ建国200年のこの年に中学生だった私は母親の強い勧めでウエストコーストを旅した。そしてその夏休みの旅を記録するためキヤノンの最新型の一眼レフカメラを買ってもらったことが登校拒否児童から立ち直るきっかけとなった。何もしたくない何もできない自分に、やることが見つかったのだ。

その頃、福生の米軍ハウスにオフクロの長年の友人家族が住んでいた。広い家ではなかったが、よく泊りがけで遊びに連れて行かれた。お父さんがContaxという銀色の古めかしい金属の塊みたいなカメラを持っていて、お母さんはヨガにハマって、私と同い歳の息子はモデルガンをコレクションしていたのを覚えている。お父さんはハリウッド映画に出てくるようなダンディな人で、職業も聞かされたけれど覚えていない。そうだ。あと可愛いオスのマルチーズを飼っていたな。

私は少年期にアメリカ文化の影響をまだまだ色濃く受けて育った世代だが、同時にベトナムを経てアメリカが必ずしも夢のような大国ではないことを感じ取ってきた世代でもある。友人家族が住んだ米軍ハウスも、70年代に入り駐留する米兵の数が減ったことによって日本人が多く住むようになった。そういえばハウスに住む若者たちが享楽に溺れていく様を描き芥川賞を受賞したあの小説が世に出たのも、1976年だった。

あとから知ったことだが、ちょうど私がカリフォルニアを旅していた頃イーグルスが「ホテル・カリフォルニア」をレコーディングしていたタイミングだった。現職のジェラルド・フォードにジミー・カーターが挑んだ大統領選挙の最中でもあった。

新学期に間に合うようアメリカから帰国してまだわずかに残っていた夏休み、オフクロに福生へ連れて行かれた。夜に庭に出てスリックの500Gというカメラを買ったときおまけにもらった三脚を立てた。夜景を撮りたくなったのだ。どんな夜景だったか覚えていないが当時はバルブの意味も知らずキヤノンの一眼レフは優秀なのでオートのままきれいに撮れると豪語し、シャッターを何回か切った。そのときダンディお父さんは「それだときれいには撮れない」と言い淀みながら「まあ撮ってみれば」と、とりあえず自分のカメラに心酔しきっている私にまずやらせてみることを選んだのだった。

9月になって現像から上がってきた写真を見て愕然とした。夜景はちゃんと撮れておらずネガは何が写っているかわからない酷い有り様で、同時プリントのプリント対象から見事に弾かれていたのだ。

カメラを買って初めて体験した圧倒的敗北感。いま自分があのときのダンディお父さんよりいくつか歳上になって、失敗することがわかっていながらも事前に止めず思い通りにやらせ、実際に苦い経験をさせてくれた優しさが尊く重い。

何もできなかった自分にやりたいことができ、でも思うようにはいかないことをあらためて思い知らされたのだけど、今度はもう立ち止まらなかった。
次に福生に行く日までカメラの練習をして、そしてきっとまたあの庭に三脚を立てよう。

model:Monica



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