北川“ハチマキ”和裕(PHOENIX) REBELSラストマッチで4年ぶりの勝利へ。「負け続けても応援してくれた人たちの前で燃え尽きる覚悟で戦って、勝つ姿を見せます」(REBELS.67 11月8日 後楽園ホール)
キックボクシング&ムエタイプロモーションREBELS(レベルス)
「REBELS.67」(2020年11月8日、東京・後楽園ホール) オフィシャルインタビュー
北川“ハチマキ”和裕(PHOENIX)
REBELSラストマッチで4年ぶりの勝利へ。「負け続けても応援してくれた人たちの前で、燃え尽きる覚悟で戦って、勝つ姿を見せます」
北川“ハチマキ”和裕がREBELSに帰ってきた。今年6月のNKBで引退試合をする予定がコロナ禍により中止。来年に延期されたことで、ハチマキが愛し、ハチマキが愛されたREBELSでのラストマッチが実現。かつてハチマキが巻いたREBELSーMUAYTHAIライト級・現王者、良太郎(池袋BLUE DOG GYM)と対戦する。
REBELSを初期から盛り上げたハチマキに聞いた。題して「REBELSと私」。
(プロフィール)
北川“ハチマキ”和裕(きたがわ・はちまき・かずひろ)
1986年6月19日、埼玉県さいたま市出身。34歳。
高校時代にボクシングを経験。法政大学2年の時にPHOENIXに入門。07年プロデビュー。2013年7月「REBELS.17」でREBELSーMUAYTHAIライト級王座決定戦に勝利して初代王者に。15年1月「REBELS.33」でREBELSーMUAYTHAIスーパーライト級王座決定戦に勝利して初代王者となり、2階級制覇達成。
戦績37戦16勝(2KO)17敗4敗。身長175㎝。
「REBELS.67」大会トレイラー↓
ヒジなしルールが主流になる中、「弱者」が戦えるヒジありルールで、華のあるREBELSはありがたかった。
ハチマキは、REBELSを愛し、REBELSファンに愛された「REBELSの申し子」。今年6月の引退試合がコロナ禍で中止となり「REBELSラストマッチ」が実現したのは必然だったのかもしれない。
「不思議ですよね。『辞める前にもう一度REBELSで試合したい』という気持ちはありましたけど、やれると思ってなかったですし、デビュー前から憧れてた全日本キックの、立役者の宮田(充)さんがREBELSのプロデューサーになって本部席にいる。これが運命だったのかな、って」
ハチマキの所属するPHOENIXは特定の団体に所属しないフリーのジム。フリーは、どこのリングにも上がれる反面、どこからも声が掛からなければ試合の機会はない。そのため、実力の見合う相手とコンスタントに試合して経験を積み、力を付けていく「新人育成」が団体所属選手に比べて難しい。
ハチマキも、新人時代にフリージムの苦労と悲哀を味わった。
「僕は10戦目まで全部違うイベントに出ているんです。無名の新人で試合も地味なので、1度出ても『次もウチで試合を』とはならなくて(苦笑)。それで転々と、いろんなイベントに出ました」
様々なイベントでヒジありもヒジなしも経験して、ハチマキは自分の適性が「ヒジあり、首相撲ありのキックボクシング」であることを知った。
「RISEに出て『やっぱり首相撲があって、ヒジもあるルールの方が自分に向いてる』と思ったんです。僕は特別にムエタイが上手いわけではないですけど、選択肢のある方が『弱者』も戦える。相手が首相撲が出来なければ首相撲で行くし、パンチが出来なければパンチで行く。選択の幅がヒジありの方が広いです。
3Rで組みのないルールだと、瞬発力とか打ち合いに強い選手が有利です。採点傾向もパンチの方が印象が強くて、ガードしているのにパパっとパンチをまとめて打たれると相手のポイントに付けられてしまう。
そういう意味でも、ヒジありなら弱者が戦えます。このルールで強い選手には失礼かもしれないけど、僕がここまで戦ってこれたのはこのルールだからだと思います」
当時、キック界は「ヒジなしルール」が主流になっていた。
「K-1MAXがあって、RISEがあって、Krushが出来て、全日本キックが無くなってしまって。キック界が『K-1風』にヒジなしルール主流になる中で『反逆して、従来のキックボクシングをやる』というコンセプトが『REBELS(反逆者)』だと僕はとらえてました。
REBELSの旗揚げ戦(2010年1月23日)で梅ちゃん(梅野源治)が『日本対タイ、5対5マッチ』に出て『こんなタイ人みたいな戦い方でタイ人に勝てる日本人がいるんだ』ってブレイクしたんですけど、僕は5対5マッチが『全日本キックっぽいな』と思いましたし(笑)、イベントを見て『いい感じになっていきそう』っていう雰囲気を感じました。
途中でSHOWTIMEと一緒にやったり、従来のキックボクシングルールが『REBELSーMUAYTHAIルール』になって『あれ?』と思ったんですけど(苦笑)。やっぱりムエタイというより『従来のキックボクシングルール』、首相撲もヒジもある昔の全日本キックにファンの頃から憧れもあって『従来のキックボクシングルールで華のあるイベント』のREBELSはありがたいイベントだと思ったんです」
同門で、入門時期も近い梅野源治が凄まじいスピードで上り詰めるのを横目に、ハチマキは新人育成が目的の「REBELS-EX」に出場して2連勝。晴れてREBELS本戦の常連となった。
13年7月の「REBELS.17」でREBELSーMUAYTHAIライト級王座決定戦に勝利してプロ初のタイトルを獲得。15年1月の「REBELS.33」でREBELSーMUAYTHAIスーパーライト級王座決定戦に勝利して初代王者となり2階級制覇を達成。
当時、ハチマキは「もっとREBELSを盛り上げたい」という気持ちで燃えていた。
「客観的に見て『勢いのある団体』と思われていたとは思うんですけど、当時はKrushがめちゃめちゃ盛り上がっていたんです。何とかKrushに負けないように盛り上げたいと思ってた時、山口さん(山口代表)は新しいことにチャレンジするんですよね。『IKG(イケてない格闘家グループ)』だったり、YouTubeの『REBELS TV』だったり」
IKGは日菜太、町田光、ハチマキの3選手で結成。個性派キックボクサーのキャラクターに着目し、トークをYouTubeチャンネルで配信した。
「他の団体はまだどこもやっていなくて、YouTube配信はKrushよりも早かったんです。
自分っていう選手を格闘技ファンに浸透させてくれたのがREBELSです。他の団体でチャンピオンになってそこそこの結果を出しても、いまだにこんなにたくさんの人に応援されてないと思いますし。6月のNKBで引退してたはずが、今回『REBELSに出る』と発表したらみんなすごく喜んでくれて。それはREBELSだったからこそだと思うし、REBELSでよかったと思います」
REBELSチャンピオンとしての野望と挫折。
その後に味わった連敗地獄の救いは「ファンの声援」
REBELSでタイトルを手にした時、ハチマキは「REBELSチャンピオン」としてタイトルの価値を上げるべく、ひそかな野望を抱いた。
「キック界はタイトルを獲ったら終わりで『防衛しない風潮』があるじゃないですか。僕はそれはしたくなかったです。ライト級の時は減量がきつすぎて、絶対に真似したらダメですけど、水抜きを最大で1日7kgやって死ぬかと思いながらパスしたり(苦笑)。でもタイトルを獲る前に階級を上げると減量を言い訳にするみたいで嫌で。ライト級はタイトルを獲ってからすぐに返上してしまったんですけど、スーパーライト級では、どんどん防衛戦をやって、ベルトの価値を自分で上げよう、と。『他団体のチャンピオンを全員倒してやる』と思ってて、初防衛戦の相手は当時J-NETチャンピオンの鈴木真治選手。勝って、防衛出来ました」
他団体のリングに積極的に出場したのも価値を上げたい一心だった。「スック・ウィラサクレック」でゴンナパー・ウィラサクレックと、NJKFではテヨンとWBCムエタイ日本統一王座戦で対戦した。
「ゴンナパー選手は当時WPMFの世界チャンピオン。『俺が勝てば、世界チャンピオンよりREBELSのチャンピオンが強いことになる』と思いましたし、テヨン選手とのWBCタイトルマッチもそうでした。どちらも負けてしまったんですけど……」
2連敗の後、ホームのREBELSに戻ったものの、潘隆成(ぱん・りゅんそん)とノンタイトル戦で戦い、判定で敗れてしまった。
ハチマキには、1つの思いがあった。
「ベルトを獲るまでは上の選手と『自分の名前を上げる試合』をやってきて、自分が上に行くと『ハイリスク・ローリターン』の試合を避ける選手がいますよね。気持ちはめちゃめちゃ分かるんです。『なんでうまみのない試合をやらないといけないんだ』って。だけど、自分が上の選手とやらせて貰ってきたんだから、何の得も無い試合でもちゃんとやって、ちゃんと勝つ選手こそ偉いと思うんです。僕は潘君に負けてしまいましたけど(苦笑)」
3連敗で後が無くなり、次の防衛戦はチャンピオンとしての実力と選手としての価値を問われる大勝負になる。
そう思った時、ハチマキは大胆な行動に出る。憧れの人、音楽家・プロデューサーの梶浦由記さんを試合に招待したのだ。
「ちょうど30歳になる時で『いつまでもやれるものじゃない。これで終わりでもいいように覚悟を持ってやらないと』と思っていて。性格的に自分からどうこうは出来ないんですけど(苦笑)、あの時だけは『後悔したくない』と思って連絡をしてお願いしたら、会場に来ていただけることになりました」
ハチマキにとって、梶浦由記さんに「自分の試合を観て貰う」のはずっと描いていた夢だった。
「キックボクシングを始めた頃に梶浦由記さんを好きになって、デビューしても新人の頃は入場曲が使えないから『早く梶浦さんの曲で入場したい』というのもモチベーションだったんです。入場曲を使えるようになると、毎回『梶浦さんのどの曲で入場しようか』と考えて、選曲するのが楽しみでした」
16年6月1日、「REBELS.43」で渡辺理想に判定勝利して2度目の防衛に成功。勝ち名乗りを受けた後、会場で見守った梶浦さんに直接、勝利を祝福して貰うという、人生で最高の瞬間を迎えた。
ただ、この試合を最後に、ハチマキは勝利から遠ざかり、連敗街道を歩むことになる。
もしもあの試合で現役を辞めていたら、と思うことはないか、と聞くと、ハチマキはきっぱりと否定した。
「周りにも『夢がかなっちゃったじゃん。これ以上、やることはないでしょ』って言われたんです。確かに、一番観て貰いたい人に観て貰えて、それ以上はないんです。だけど、それで夢がかなって満足して辞めたら、梶浦さんをガッカリさせてしまうんじゃないか。もっともっと頑張っていかないといけない、と思ったんです」
それに、とハチマキは付け加えた。
「チャンピオンになったら、挑戦を受けて防衛戦をして、負けて獲られるまでが仕事だと思うんです」
ハチマキは、生真面目で、不器用で、誠実に「REBELSチャンピオン」の責任を果たそうと戦い続けた。思うような結果は出なかったが、彼のひたむきさは見る者に伝わり、どんなに負けてもREBELSファンは応援することをやめなかった。
体調不良で長くリングから遠ざかり、1年8か月ぶりの復帰戦が「REBELS.57」。
この時のことをハチマキは今も鮮明に覚えている。
「入場曲が流れた時、会場の声援がもの凄くて、入場前に泣いてしまいました……。声援のありがたさというか『こんなに応援してくれるんだ』って」
↓ 1年8か月ぶりの復帰戦。入場シーンはカットされてるが、両選手の応援団が熱い声援を送っている様子は分かる。
「その試合も負けてしまって、梶浦さんが観に来てくれた試合の後から6連敗してますけど、それでもずっと応援し続けてくれる人たちに、今回こそ勝つ姿を見せたい。見せないと……」
コロナ禍は、6月のNKBで引退していたはずのハチマキに「REBELSラストマッチ」をもたらしただけではなく、もう1つの「追い風」を吹かせた。
「僕は練習で追い込むことには自信があるんですけど、前回の試合も怪我が多くて全然追い込めなくて。思うように動けないと練習が本当につまらないんです(苦笑)。それで『もういいかな』と引退を決めたのもあるんですけど、6月のNKBの大会が中止になって、それまでだましだましやってきた箇所を病院で検査して、リハビリもしました。今は練習でしっかりと追い込めるので、練習していても楽しいです」
対戦相手は現REBELSチャンピオンの良太郎。相手にとって不足はない。
「知らない相手とやるよりもモチベーションが上がりますし『新旧王者対決』ですからやる意味があると思いますし、いい相手だと思います。
僕は、油断したらダメだと思って、ずっと対戦相手を過大評価してきたんですけど、今回はフラットに良太郎選手を見て、今まで対戦してきた相手を考えても、選手としての実力は僕が上回ってて、劣るところはないかなと。自分の力を出せれば、差はあると思います。
くよくよするタイプなので、連敗して期待を裏切るたびに本当に心が壊れるんじゃないか、と思うこともあったんですけど、結果で否定され続けても、応援して貰うことで「自分」という存在を肯定して貰えるのはありがたかったです。上を目指してる選手なら絶対に言っちゃいけないことだと思いますけど、これだけ負け続けて、これだけ応援して貰える選手も珍しいと思います。もう辞めるって言ってるから、言っちゃいましたけど(笑)。
引退試合は来年のNKBでやります。だけど僕は今回は今回で、燃え尽きるくらいの気持ちでやります。
客席にずっと応援してきてくれた人たちがいて、その人たちの前で自分が迷いなくパフォーマンスを出して、とにかく勝つ。勝つ姿を見せます!!」
(了)
↓ ハチマキ選手自身が綴ったこの試合への思い
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