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死ぬなら恵比寿で日暮れ過ぎ 

8年ぶりの街だった。地方都市での長すぎる時間はなんというか、バウンスをにぶらせる。例えばすばしっこい猫をバァ様の足元でいぎたなく眠る愛玩犬レベルに。オレを含めて例外はほとんどない。一言で言えばマチを流れるスピードと若年層のパーセンテージが違うのだ。
忙しそうに行き交う人々、笑い声。通り過ぎる人の姿がまるで透明なオリで仕切られた別世界のようにも思えてくる。そう8年の間に恵比寿はオレと無縁の時間が支配するマチになっていた。まぁいい、とりあえずドラゴにでもいけば昔なじみの何人かに会えるだろう…。

ところがだ。ドラゴだった場所は、今風のカフェに変わっていた。札幌なら8年かかる変化も恵比寿では数ヶ月。まいったね。そういえばなぜオレがこのマチにやってきたのか言ってなかったな。「別に聞きたくもない」。まぁそう言わないでよ。Z世代だっけ、そいつらも含めて若い奴らには年寄りの言葉を聞く権利だってあるんだ。もちろん義務なんかじゃないけど。ちょっとつきあうくらいはいいだろ。

一言でいえば人探しだ。いっておくが事件性なんかはない。少なくともいまのところは。古くからの友人が突然消えたというよくあるお話。それがなぜオレに結びつくのかはちょっと複雑な話になる。だから焦るな。ということでオレは今、昔なじみの悪友、連堂氏の現在地を探しているというわけだ。
まずは情報の収集だ。とはいっても連堂 恵比寿 行き先とネットで複合検索しても表示されるわけじゃない。こういう場合は昔からの方法。つまりマンパワー、人脈。人にあって聞くという古典的なアプローチに限る。昭和の刑事ドラマとサイバー警察の違い。それにしてもドラゴがなくなったたとなると個別であたるしかないか。面倒なことになりそうだ。

こういうとき、古くからあるおしゃべりな寿司屋の親父ってのは、いい情報源になる。なぜ寿司屋かだって。それは事情通を自認する寿司屋の実例を知っているからだ。当時は若と呼ばれてたそいつは、寿司を2貫握る間に16通りの噂話を披露する特殊技能を持っている。なに、それはレアケースだって。そのとおりだ。だから情報源として貴重なのさ。
しかし時代の変化はここにも影響を与えていた。銀座通りでは寿司若を真ん中にして両隣の酒屋と漬物屋。この3軒があろうことか一つのビルにリニューアル。コンビ二やイタリアン、焼肉屋などが入った雑居ビルに変身していた。

さて頼みの綱の若にも会えないとなると事態は、面倒の度合いは、一気にレベルアップする。つまりあのジジイだ。20年前で60歳は過ぎていたはずだから生きてたとしても、連絡がつくとは限らない。認知症?いやもともとが認知症みたいなものだから、そこはいいのだが正直会いたい相手ではない。色々あるのさ大人には相性だとか、事情とかね。
そもそも連堂のことを教えてくれたやつに聞けばいいのに。そうだ当然そうすべきなんだ。だけどそれは無理。探すと約束した相手はもういないんだ。つまり、今際の際の遺言と言うやつだ。これは連堂を探す立派な理由になると思うが、違うかな。

恵比寿のことを新しいマチだと思ってるやつも多いが、これでなかなかに奥深いマチでもあるんだよ。だから古くからこのあたりに住んでいる人間の中には妖怪じみた連中だっている。あたるとしたらまぁそのあたりなんだがこれがちょっとやっかいだ。
その中でも一番怪しげな人物を選びなさい。という問題が出たとしたらオレは“怪し”のあたりでガイを選びリターンキーを押すだろう。すれ違う人の80%に怪訝な表情をさせる男。いやジジイ。それだけじゃわからないって、大丈夫。薄くなった頭をベレーで隠した黒尽くめの長身痩躯、特大の顔をしたボブルヘッド人形みたいな姿を見つけたらそれがガイだ。目印なのか、単なる歪んだ自己顕示欲なのかは知らないが、その肩にはご丁寧にサルが座っている。

さて恵比寿の伝説だが、この町には日本人なら誰もが知ってる有名人の末裔が住んでいる。だれだか気になるだろ。なんとその有名人とは豊臣秀吉。豊臣家は大阪夏の陣で滅亡したというのがオレたちの習った日本史の常識。だが秀頼には二人の子どもがいた。長男國松は大阪夏の陣の後、京都で捉えられ斬首されたが、もうひとりの女の子は千姫の養女となった後、鎌倉の東慶寺の住職になったとwikiにすら書かれている。その子孫が羽柴を名乗り恵比寿に住んでいるというお話。信じるかな。オレはロマンとして信じているがね。幼くして出家した尼様が子孫を残したっていうのもいい話じゃないか。それがどうガイと結びつくかは一言で済む。聞く気があるなら、次の機会にでも披露しよう。大丈夫、そう長く待たせるつもりはない。

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