日本文化の衰退?それホントですか2
伝統からはじまり、その先を生みだす守破離(しゅはり)の文化
昨日の駄文のお尻あたりで書いた頑固モノ、強情、鉄面皮の系譜。なにも文学者に限ったものじゃありません。千利休、ミケランジェロ、岡本太郎、葛飾北斎、ゴッホ。
思いつくままにあげてみても、やっぱりなんかそんな感じです。芸大の学生にも同じような傾向が見られるようです。最も変人を気取るという自己満足もあるのかな。とはいえそれも立派な未来へのエネルギー。
まぁそれはさておき、ボクのような凡人の中にさえまだ見ぬその先の未来には胸踊るものがあります。
新しいシステムの中でどんな変革が起こり、どんな新しい文化が生まれるのか。その方が絶対に楽しいじゃありませんか。SNSで批判や揶揄といった手立てで、現状への不満を撒き散らすよりも。
受けつぐところは受けつぎ、自分なりに向き合いながら、きちんと悩み、新しい未来を生み出す。この精神を日本伝統のアートの世界でいうと守破離(しゅはり)という言葉になります。
さっきの後継者がいない問題、これ乱暴にいってしまうとその文化に魅力がないから、または魅力を感じさせるだけの力がない、とか努力をしていないということなのかもしれません。需要が少ないんです。角度を変えたり、違う魅せ方をしたり、新しい需要をさがせばなんとかなるんじゃないでしょうか。そしてマネタイズは…とここまで書いて気がつきましたどれも同じことなんです。文化としての魅力がないから需要もなく、お金にも結びつかない、後継者だってでてきません。
本当に守るべき日本文化は決して衰退なんかしない
文明の衰退はあっても、本当に大切な文化の衰退なんでないんじゃないでしょうか。ましてや守破離の精神を受け継ぐ日本文化に衰退なんて似合いません。
もし、不振なときがあったとしても復活すべき文化はかならず復活します。なにしろ、海外からの刺激を受けて変化することですばらしい価値を生み続けてきた日本の文化なのですからね。