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新しい日のとまどい シーン3
思った通りだ。彼女でも、宅配スタッフでも、もちろんウーバーでもなかった。ドアモニターには怒ったような表情でカメラを睨みつける中年の女の人。決して平穏とはいえない日常にさらなる厄災の到来だ。居留守はきかないよね。
「なんですか、いったいこんな時間に」
「開けないで!怖いから」なんて言い草だ。怖いのはこっちなのに。
「返してください。返してさえくれれば警察にはいいません」
警察?意味がわからない。僕がなにか彼女に対して不利益を被るようなことをしたっていうこと。接点はない。というかこっちこそ怖い。仰せの通りドアを開ける気なんかそもそもないの。ここは冷静に。
「返せって何をですか」
「とぼけないで、だからアレよ。早く返しなさい!」
声が大きくなる、これが解離性障害と呼ばれる症状だとしたら、間近に見るのは多分初めての経験だ。
それにさ、しつこくいうけど深夜2時だよ。勘弁してくれ。そう叫びそうになったタイミングで突然静かになった。
モニターにも姿が映っていない。ドアの上に取り付けてあるリモート式のワイヤレスモニターで周りを見渡した。どこかに隠れてるんじゃないか。この迷惑な冗談に狼狽える中年を見たくって。だが見えたのはマンションの中廊下と閉ざされた玄関ドアの無言の連なりだけ。気味が悪いな、それにあれだけの騒音で他の部屋の住人が騒ぎ出さないのもおかしなものだ。オカルトチックな出来事?
このマンション、なんかそっち系の訳ありじゃないの。そうだよ、彼女との間がおかしくなったのもここに引っ越してきてからだ。夜職の人が多いからだと思ってたけど、住人の姿もめったに見ないし、家賃だって50㎡の2LDKで15万って、いくら古くても安すぎるだろう。恵比寿徒歩7分だぞ。
事故物件?だとしたら、不動産屋に説明義務があるって聞いたことがあるけど、どうなんだろう。そんな話はなかったよね。なかった、そうなかったよ。じゃなに。まずい、どこかで精神の均衡を取る必要がある。
こういうときはアレだよな。Macの起動音を聞きながらぼんやりと考えた。
マンションの名前と大島てるで複合検索。300件弱のヒット数。都内まで絞って見ようか。260件、多いなやっぱり。住所をプラス。50件、やっぱりここか。これそういうことか。1647?ルームナンバーが違う。我が家は608だ、おい待てよこのマンションは8階建てだぞ。1647なんてあるの?いや無いでしょ!
自分でいうのもおかしな話だが、体育会系の体つきとは無関係に、僕の内実は典型的なインドア系だ。少なくともそのギャップで得をしたことなんてない。おまけにスピリチュアルというよりオカルトの世界には全く耐性がない。小学5年生の林間学校の肝試しで、好きだったアリサちゃんに笑われた瞬間から見掛け倒しのイクちゃんが僕の呼び名になった悲しい過去。
なのに!とわざわざ強調するのもどうかと思うけど、願いとは正反対に怪しいものを呼ぶ体質でもあるらしい。そうだ、さっきの困ったことにもうひとつ付け加える必要がある。彼女と一緒に暮らしていた1年と7ヶ月の間は不思議と、不思議なことが起こらなかった。怪しげな影も謎のラップ音も。それが別れた途端にこれだもの。彼女ってエクソシスト体質でもあったのだろうか。