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北海タイムス物語を読んだ

北海タイムスという名前を懐かしさとともに思い出せるのは1960年代を
北海道で過ごした人間か、その少し後の世代までだと思います。

懐かしいとは言ってみたものの紙面を目にしたことは殆ど無い。
周囲にも北海タイムスを購読している人は少なかった‥‥と思う。

視野も狭い上に、自分勝手な子どもの視点なんて残酷なものでね、
その頃のボクにはマイナーな新聞という姿でしか映りませんでした。

今回、北海タイムス物語を呼んだ後ではあるけど、
調べてみたら如何にその視点が偏見に満ちたものかよーっく分かった。
反省だよ、反省。北海タイムスさんごめんなさい。

と、謝罪が終わったところで新潮社刊「北海タイムス物語」(増田俊也著)
についてちょいと。

この著者の作品には「シャトゥーンヒグマの森」、「七帝柔道記」、
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」と結構なパーセンテージ
で目を通している。

内容はというと乱暴な言い方をしてしまえば、自分の思い描いていたギョーカイとは
似ても似つかぬ異世界に放り込まれ、強烈な個性を持つ人々の間で翻弄された青年が、
やがて‥‥といった典型的な成長記録であり、弱小企業の劣悪な環境の中で
新聞人としての誇りを忘れず、自らの意思を貫こうとした人々の物語でもある。
(は~やっと句点が打てた長いのは疲れるね)

久々にスマホに触ることなく一気に読んだ。
面白かった、読了後の感動もあった。
ただなぜだろう。その後には何も残らない。
もう一度、読み返したくなる何かが、オレには伝わってこなかった。

若い頃には拡張団のアルバイトも経験したし、広告局との付き合いも
長かったので新聞の世界のことも少しは解る。
印刷のおじさんやニーちゃんたちの強面チックな描写も「そうだよな」と頷ける。
(実際に、ギリギリ待ってもらって印刷所への持ち込み入稿もあったしね)
もしかしたら、これはまだ次章へと続く序章なのではないかとも思う。
これで終わりなのか?本当に?
野々村巡洋はこうして一人前の新聞人としての第一歩を踏み出しました。パチパチパチ。
じゃねーでしょうよ。

きっとこの後に、本来著者が書きたかった本編が始まる。
いや期待値だけかもしれないけど・・・だといいな。
だから、増田先生、一面識もないけど早く書いてね。

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