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逆襲の幻レストラン  3,一口目

「お楽しみいただけているようですね」どこかからか声がかかった。たぶん支配人だろう。気のせいか先程に比べずいぶん若やいだ声に聞こえる。

「まぁそうかな。ちょっと面白いもてなしではありますね」ハンズフリーの電話と同じようなものなのに見えない相手との会話はなんだか不思議だ。
「それはなによりでございます。そちらのワインをお先にぜひ。その方がより一層おいしくいただけますよ」なにか意味ありげな言い方だな。とまぁ気にはなったが、仰せの通りグラスを口に運んでみる。

あっなにコレ!どうなってるの。グラスの中では確かに液体だったはずなのに、舌の上へ移った瞬間、異常に粘度の高いゼリーを感じされる塊へと変化した。次の瞬間、今度は塊のはずが驚くまもなく舌を覆うように広がっていく。しかも舌全体をコーティングしているかのような違和感。

これじゃあ、なにを食べてもゼリー以外の食感は感じられないじゃないか。だが味は悪くない。ソムリエならなんと表現するだろう。面白い趣向だとは思ったが、そんな呑気なことを考えていられたのはそこまで。突然、室内が暗くなった。暗くというより、闇、光のない世界。ナイフやフォークどころか、皿さえも見えやしない。これでどうやって食べろというんだろう。

「失礼いたします」声と同時に、冷たいものが顔に触れた。振り向こうとしたが体が動かない。なにをされた。冷たい何かが顔を這う感触はするのだが目にはなにも映らない。何かを確かめるように顔の上を動いていく。この感触はあれだ。そう指だ、人の指だ。驚きはあったが、それが得体のしれない異物ではないことに少し安心した。安心というのもおかしな話だが、少なくとも悪意は感じられない。細くソフトなあたりは女性のものではないだろうか。やがて指らしきものは、唇から口の中へと入ってきた。おいおい、これじゃあまるで谷崎文学のシーンじゃないか。

といって、舌を撫でる指の感触が金華ハムや白菜の味に変わるものでもない。そう小説とは違い、なんの味も感じられない。甘さも、塩気も、苦み、辛味、もちろん旨味といったものも。不思議と不潔な感じもない。それにしても小説を再現するだけで、幻レストランを名乗るとは芸が無いな。いやいやお楽しみはまだまだこれからってことなんだろうけど。
「どうぞお召し上がりください」
えっどういうことだ、この指を食べろというのか。いや流石にそれは気持ちが悪いだろ。ボクはそこまで悪食でもなければ、猟奇的な趣味もない。
「ご心配なく、今味わっていただいているのは人間の指などではありません」
どこかで、味というものには、味覚や嗅覚だけでなく視覚も少なからず影響していると聞いたことがある。

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