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日本文化の衰退?それホントですか1
年末にこんばんは。今日は少しカタメのお話です。日本文化は“衰退の方向へ向かっている”そんな記事を見かけました。これ、言葉通りに受け止めていいのでしょうか。ちょっと悩んでみたいと思います。
お金に結びつかないからダメという意見もある
衰退の理由としてはあげられていたのは伝統分野の後継者不足、商品市場の需要の減少、そして一番の大きな理由はマネタイズ=「それお金に結びついていますか」という一点です。う〜んそういわれてみればそんな気もしますねぇ。
数年前のことですが、某出版社の代表が、ある著者の出版物の発行部数をツイッターで発表して炎上したことがありました。作家のプライドに配慮すべきだ、業界の常識としておこなってはならないなど否定的意見の多くは作家を中心とした人々から。
また書籍出版といえどビジネス、公正な数字の発表は当然という賛成派は経営者・ビジネス関係など比較的若い世代からあがっていたようです。
作家やクリエイターは守り育てるもの、それ甘くない??
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批判者サイドとして作家は大切に育てるもの、作家を守り育てるのが編集者の仕事という考えがあるようです。事実、出版業界は一部の作家のベストセラーの売上を原資とすることで、他の売れない作家(失礼)の書籍にも出版のチャンスを与え、その中から次のベストセラー作家を育てそれがまた…。というサイクルを常識としているようなのです。だからこそ出版文化を衰退させないためにもこのようなことは許してならないという理屈でしょうか。
旧来のシステムは今でも有効なのか
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システムを否定するわけではありませんが、このシステム本当に次の才能を育てるのに有効なんでしょうか。作家のプライドを尊重し、メンタルを守るために正確な数字を公表しないなら、童話の「裸の王様」と一緒じゃないですか。数字を励みとしてマーケティングの手法を活用して次回作に活かすというのはだめなんでしょうか。
衰退?NO 変化への強さこそ日本文化の特長
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縄文文化から弥生文化への例ではありませんが、文化って衰退というより移り変わっていくもののような気がします。私たちの大切な資産である日本文化、たとえば歌舞伎なんかでも、出雲の阿国のオジリナルからまったくちがうものに変わってきているはずです。いえ、多分ですけど伝統と変革のコンビネーションは衰退しないための正しい手段なのではないかとも思うのです。
作家やクリエイターは弱々しくなんかないはず
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そう考えると最初に書いた発行部数のお話、これこそ求められているようにも思うのです。時代の移り変わりを何世代も乗りこえて受けつがれていく文化は、メンタルの弱さどころか、したたかでふてぶてしいほど活力に満ちたもののはず。昔の文学者たちだって、伝記なんかによると頑固モノ、強情、ノラリクラリに鉄面皮とみなさん強烈な個性の方ばかりですものね。
この話題、明日も引っ張ります。