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【317日目:毎日ご質問回答】人生出発点で大事にしていて、人生中盤の今、改めて大切だと思う価値観は何だと思いますか。

ご質問ありがとうございます。

それは『(圧倒的に)いい人でいること』です。

10代の頃、学校や社会などで「いい人」と言われ続けていました。しかし、その頃の私は感覚的に言うといい人の仮面をかぶって外を歩いていました。つまり、ものすごい近視眼的にいい人と振る舞うというような感じです。家に帰ると、抑え込んでいた様々な感情があふれ出し、俺はいい人なんかじゃないという葛藤を抱えて生きていました。

20代前半でそばにいようと決めた相手が、私の目から見ると社会と家との様子が私以上に違うので、今思えば、「圧倒的安心」を感じました。圧倒的安心とは、例えば同じ境遇の方たちが集まるグループカウンセリングの「私と同じような人間が世の中にいるのか」という安心感です。

その直後はここまでの観察力はありませんでしたので、劇薬ではありましたが、私の価値観を180度変えてくれたことは事実です。社会でも、家でも接点を持っていた人とそばにいようと決めたことが結果として、「そうか、人は社会と家と表情が違うのか、俺は特別な人間ではないのか。」という安心感に後々変わります。そして、人は一部でも安心感を得るとチャレンジする心が生まれます。私の場合、そもそも論を獲得しました。今回の場合は「そもそも、なぜ社会と家と別々の顔をする必要があるんだっけ?」という問いかけを何度もする行為です。ライフステージやその時の感情によって導かれる答えが違うところがそもそも論の面白いところです。

10代の頃は、他人に常にいい顔をしようとしているけれども、家に帰り一人部屋でいるとありとあらゆる感情が沸き上がり、それを抑えようと必死になったりしました。しかし、40代の今の私は、「圧倒的にいい人であろう」という境地になっています。私にとって圧倒的にいい人とは、大前提に無知の知を心底分かっていて、茶目っ気があり、圧倒的コミュニケーション能力を持ち、圧倒的博学好奇心を持ち、必要であれば誰が集まろうが合意形成のファシリテーター役を買って出て、生きる力につながる研究・実践を相手のわかる言語に翻訳するインタープリターです。

この圧倒的にいい人は知能を持った人間の生存戦略としてもとても有効だと思います。つまり、今は社会に出た時の私と家の中の私がほとんど同じです。圧倒的に楽です。楽なので、自分が深掘りしたいことに全神経を集中できます。過去の経験をそもそも論で考え、今の自分に意味のあるラベルを張り付けて取り扱うことは、つらい過去を忘れてしまう、つらい過去を上塗りしてしまうよりも圧倒的に自分の役に立ちます。

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