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●The Miles Davis/Tadd Damelon Quintet in Paris (JAZZ essay 6)

ジャズをいい装置でもって、いい音を聴く事はとても楽しい事だし、その喜びは、装置を持っていない僕でも実によく解ります。では、悪い、または、古い録音はどうでしょう?それはすべて、聴く人のイマジネーションによるのです。この1949年のパリでのインターナショナル・ジャズ・フェスティバルの録音の音は、とてもいい録音とは言えない代物ですが、このレコードを聴いているとまるで、1940年代のラジオから流れて来る、ジャズ・フェスティバルの中継のようで、実に、雰囲気があるのだ。マイルス、タッド・ダメロンもいいし、ジェイムス・ムーディーもいい味がある。皆気持ち良さそうに演奏している。’49年頃のパリはさぞや素晴らしかったにちがいない。流石に、パリは当時でも、アメリカの黒人ミュージシャンを一人の真の芸術家として、みていたのである、チャーリー・パーカー、マイルス・ディビス、デューク・エリントンに、サッチモも世界で初めて芸術と認めたのは、パリなのである。パリにいて初めて、彼等は、芸術家だったのである。当時、アメリカは,自国のたった1つのオリジナルの文化にもかかわらず、それが解らなかったのです。この演奏を聴いていると,彼等が,芸術家という待遇のなかで,本当に自由な空気を感じながらプレイしている目に浮かびます。チャーリー・パーカーがヨーロッパで認められた事が彼の人生でどれほど嬉しかった事か,彼は何処かの本の中で述べてました。この演奏を聴くと僕はまた,星空を感じるのです。まるで’40年代のパリの夜景を上空から眺めている,気がするのです。それはかつての、フランス革命においてヴィクトル・ユーゴーの描くところの鳥の目で上空から見ているように,またまるで,サン・テグジュペリが飛行機の操縦席から,パリの夜景を見ている光景が浮かぶのである。そこで,彼は,操縦席からラジオのスイッチをひねるとこの演奏が聴こえる。’49年には彼はこの世にいないが,きっとパリの上空をまだ,漂っているにちがいない。
僕は現在、シトロエンの1953年型のトラクション・アヴァンを所有しているのだが,奇麗にレストアした暁には,この演奏とビリー・ホリディーを聴けるようにしよう。それを聴く為にこの車をかったのだから・・・。

2006年 12月28 日 4時 28分 

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