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コールセンターを辞めると決意した大事件の話
と、この記事の中に
コールセンターで教育担当じゃないのにインターン生の教育を任された時の話
を、書きながら『1記事の中に2記事をまとめる』という、どうせ記事を書くならと、テーマを決めてチャレンジして書く記事だ。
まず、インターン生を育てたときの実話を書く。
僕の所に来ていたインターン生は大別すると2つ。
・公立大からのインターン生
・私立大からのインターン生
この2つだ。
よく人は言う。
「人を学歴で判断するな。」と。
事実だけを書く。なぜ、そんな言葉が産まれたのか?という僕の経験した答えだ。
とは言え、当時僕は教育担当をしたことなどなかった。人にモノを教えることは小さい頃から割と得意だし好きだった。
なので、僕のやりたいように育てられるという、ワクワクの方が強かった。どんな子に育つのか?楽しみで仕方がなかった。
仕事の中で、特に僕が面白いと思うことの中に、若い子にモノを教えるということがある。
僕は若い子に仕事を教える場合、真剣に伝えている。もちろん、相手がどんなタイプかを判断して、その子に合うように方法は毎回自分なりに調整しながらだ。
試行錯誤した。
指導したインターン生に教育用の資料など、ほとんど覚えさせていない。根本から教育を変えてみようと思って、全く違う方法で自分の本当に好きなように教育をした。
心がけたのは、僕の指導を受けてくれた子たちに、後になって「あの時の会社の研修楽しかったよね✨」と、将来言ってもらえるような、人生史に残る、記憶に残る楽しい教育を目指した。
みんな、そうじゃない?
先生が言い残した言葉の中で、1番覚えてるのは何?って聞いたら、99%はくだらない台詞を吐くだろう。くだらないモノマネをやっていただろう。
ここで、久々に手書きメモをいきなりアップする。
つまり、こういうことをした。
目指したのは、まずはそこ。
最初にインターン生に教えたこと
結論から言うと、僕が辞める前に、インターン生の1人からメッセージをもらった。
「この会社に来た時の教育担当が、ジーコさんで良かったです!他の人だったら辞めてたかもね、って皆で話していました!」と。
そんな結論に繋がるお話だ。
僕が1番最初に教えたことは、
「寝たかったら寝てもいいし、注意もしない。
ちゃんと仕事さえできるようになってくれたら
それでいい。話を聞く気がある人は、
今から1番大事な話をするから、
ちゃんと聞いててね。」
と前置きした。
次に仕事上の立場を分かっておこうね、ということを説明した。
(モノの流れ)
クライアント→お客様→僕たち
(ビジネスの流れ)
お客様→クライアント→僕たち
(人の流れ)
お客様→販売店→クライアント
全部記号を『→から=』にしましょうね。ということをツラツラと図解しながら教えた。
お客様は会社に向かって電話をかける訳で、下請け業者か何だから知らない、インターン生に向かって電話をしてきていない。
という話を、とにかく時間をかけて、「サポートセンターに電話かけたことがあるかい?」と聞きながら、その時の感想を聞いたりして、そこから話を広げていった。
「自分たちが電話をかけたときのお客様としての気持ちを、絶対に忘れないで欲しい」と言った。
テキストでは2秒で読み進める所に、僕は少なくとも30分は使った。だって、もし反対の立場だったら、人生初のインターン生の体験を、教育の一環として現場にぶち込まれて、1番大切な心得をテキストの2秒で終わらせるのは、あんまりだ。そんな会社にやって来たら、不安しかないだろう。
いきなり退屈な教育をされたら普通は嫌だろう。
僕は嫌だ。早く緊張を解いてあげたかったのもあり、なるべく近寄りやすい身近なお兄さんのつもりで彼らには接した。
なので、そんな電話に出る僕たちが、別の会社の人間ですから、って思わせる対応を絶対にしてはいけないよ、と教えた。
つまり、言い換えて、会社を代表して電話に出ているんだよという、一連の説明をした。
基本的に、この導入地点の理解があり、人として、きちんと誠心誠意、お客様に向き合う気持ちが分かる人なら、誰だってテレオペは務まる。
それからの教育は、次のとおり。
①代表者な問い合わせのベスト10
②実際の仕事のシミュレーション
(受講者がこれから習うロープレを1つずつ実演して
細かく説明)
③(②’)その時々に出た質問への回答
④(②’)各年代のお客様の特徴
⑤(②’)テンパったらとりあえず折り返せ
①と②しか本当にしていない。
たまには、口から出まかせでもいいから、たまに粋な一言なんていうのも、かけて損はないよ、とか。それ教えとく必要あるんかい!って言われそうな事も教えた。
特に細かすぎる用語の説明や知識は、徹底して省いた。板書することやマーカーを引くことが教育じゃない。それで済む場面の教育も、人生にはあるにはあるが、話しを聞いてマーカーを引くくらい誰でもできるし、中には『やってます感』を出すためにとりあえず無意味にしている場合もあるかも知れない。
#それで済む場面なら
『やらない人間』が『やってます感』を出して、
『結局やれませんでした』では無意味だ。
#自分にも言ってる
理念として分かっておいてね、という話だけは、図解して分かりやすく、噛み砕いて説明した。書く必要はないから、「話が分かればそれでいい!」と、メモに残せないようにして、言葉と図解でその場で理解してもらえるように全力で説明した。
話を聞いてもらって、
ウンウン(゚▽゚*(。_。*(゚▽゚*(。_。*)
と、頷いてもらうだけでいい。
目の前の子たちが、仕事を始めて困らないように教える責務は、僕にはあった。会社のやり方には従っていないけど、全力でインターン生と向き合った。手は抜いていない。
ここで前述の、2つの学歴の話に移る。
その上で、結論から。
公立からのインターン生の方が、僕が見た中では圧倒的に平均レベルが高かった。これは、偏差値の差と言い換えても過言ではない。モチロン、偏差値が全てではないことは承知している。
真剣に学問を歩んで来た学生が、学ぶことへの姿勢において、偏差値が圧倒的にかけ離れた人に負けることは、少ないとは思う。
大抵はそうなるけど、例外も知っている。
またその例外キャラは、ずば抜ける特徴もあるので、伸び代の面白さで言えば、後者だ。
天才になれる領域(能力)を、必ず誰でも一つは持ち合わせていると、僕は信じている。
全体的な印象を述べると、公立からのインターン生は総じて真面目で、責任感があり、職務に全うできるタイプばかりだった。
一方、私立からのインターン生は正直マイナス面が目立つタイプも居るが、伸び代がはかりしれない化けるタイプも居たりした。
もちろん、これは甲乙をつけるという話ではない。
僕が担当したインターン生の中から、脱落者は1人も出させなかった。本当に良かった。
そして、僕が会社を去る少し前。
インターン生とは土日しか顔を合わせて居なかったが、僕と顔を合わせるのが最後の日になった時のこと。
僕に向けて、インターン生の子が言って来た。
直接言われたか、手紙だったか、IPメッセだったか、立ち話したか、肝心な所は忘れた😂
#方法は忘れたけど言葉は覚えてる
そんなお礼を、代表して1番言わなさそうな子が言ってくれた。
この話は、僕が墓場まで持っていく大切な話にさせてもらいたいから、「こちらこそ、ありがとう😊」と言いたい。
元気にしているかな?楽しく過ごしてるだろうか?
いつか、美味しいお酒を呑みたいものだ。
さて、急ぎで辞めた話に移ろう。
コールセンターを辞めるキッカケとなった大事件の話
駆け足で書いてきた僕のコールセンター時代。
この話で、コールセンターについての話は終わる。まだ、サイドストーリーは沢山あるので、それは別の記事と交えて発信していきたい。
ある日、通常のクレームとは明らかに特異な、考えられないクレームの電話が入った。
電話をかけてきている人が、販売店の方からなのだ。
言い方は悪いが、クライアントがかなりお贔屓にしている販売店からだ。
なので、販売店様が相手の電話の場合は、対応がイレギュラー対応として進み、かなり特殊になる。
ざっくり言うと、僕たち現場の意見と、クライアントの相談役(Bさんとする)から返ってくる答えが、ぶつかった。
僕は散々、「その返答をこちらからしたら、後から絶対大変なことになりますけど、それでも大丈夫ですか?」と、何度も尋ねた。
ここは少し話が分かりにくいので、概要を挟む。
【問い合わせ内容】
・初期不良交換を販売店側でしたが、この品物は本当にそういう傾向のある製品じゃないのか?
・お客様からは、そうアナウンスされたと聞いている
・それは事実か?
・2ちゃんねるにも既に初期不良が多いと書かれている
・あるなら別の対処を取った方が良いと思うが、どうしたらいいか?
こちらは現場の意見として、これ以上お客様に嘘をつくなと進言した。
つまり、事実をアナウンスさせろと僕は訴え続けた。
だが、残念ながら、そうは問屋が卸してくれなかった。
あくまでも、クライアントのオーダーが、『お客様に対して嘘を平気でついてください。そして、上手いことそれも隠し通してください。』ってことだ。
分かるだろうか?
冗談じゃない‼️やってられるかよ‼️
あーもう‼️この時の感情は、表記するとしたら、こんな感じ。
寝ぼけたこと言ってんじゃねぇよ‼️💢クソがぁ‼
#感情爆発
🤯
💥
🌋
💣
僕の中の黒い部分は、そう受け取っていたのは間違いない。
ただ単に、僕にBさんを説得する力が、足りなかっただけだ。当時の僕の実力はその程度しか無かったと、受けとめるしかない。
ただ、今なら言えることもある。
絶対それは間違ってます!と、何度でも、もっともっと遠くまで届く声で、届くまで訴え続けなければいけなかった。
説得を諦めた僕の負け。情けない。
僕は、言葉は悪いがクライアントのペーペー1人さえ、説得できなかったんだ。
だから、Bさんは悪くない。
問題はこの後に起こる。
計画通り、一番描きたくない最悪のシナリオに発展し、みるみるうちに大炎上。
⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️⚫️
川川川川川川川川川川川川川川川川川川川川川川川
🔥🔥🔥🔥🏭辺り一面黒い煙でまっくろけ🔥🔥🧯🏠🔥🏠🔥🏠🔥🔥🔥🏠🏠🏠🔥🔥🔥🌳🍂🧯
クライアント側にも、別ルートを経由して、事の重大さが伝わる。
営業担当、係長、課長、部長、出てくる出てくる、
ほらほら、もっとおいでよ!面白い話はここだよー?ほ〜ら、大炎上酒場はここでぇい‼️
とでも言いたくなるような、そんな状態。
何が起きたのか?
お客様に言ってはいけない暗黙のルールを、お得意様にさえ適応し、嘘を貫き通し、その結果、クライアントの営業やら課長やらが、色々と頭を下げに回らなくてはならなくなったのだ。
自業自得だと言いたい。
あまりに詳しくは書けないので…、とにかくおおごとになった。
僕の地域の方言で言わせていただくと
「おごとした!」
まもなく僕の内線が鳴り、ことの顛末をクライアントの1番信頼できる人に全てそのまま白状した。
「指示通りに対応した結果です。こうなる事も伝えましたし、それでも良いってハッキリ指示されました。内線の録音を聴いていただいても構いません。言われた通りにしかしておりません。」と。
それから、数日色んな所で、この大火事の対処についてクライアントでも、話し合いが持たれたことだろう。どういう返答が来るのか見当もつかない。
返答が来た。
「今回の発生要因と、その対策について是正報告書をまとめて提出してください。」
はい???へぇー、そう来ちゃうパターンね。
完全にイカれてやがるぜ。コイツら。
僕の社内で行われていた会議では、僕とYさんは間違った対応はしていない、という結論は出ていた。
その上で、悪者になり罪を全て被り、僕とYさんが間違っていましたよ、というストーリーを作り上げなければならなくなった。
全く楽しくない、気乗りしない仕事だ。
クライアントに暴言を吐きまくって、今すぐ責任取って会社辞めたっていいと思った。
だが、さすがにそれは大人な対応ではない。
「何なんだよ‼️」
自分たちの間違っていない対応の音声を文字起こししながら、こちらが悪者になるストーリーを書く。
ひたすらに。
1番楽しくないフィクションを、この時作る羽目になった。
その報告書の内容なんて1行たりとも覚えていない。
魂の抜けたゾンビのように、上長に提出しては修正し、提出しては修正し、をただ繰り返した。
この時に、僕はこのクライアントと仕事をしたくないと全力で思った。
僕は、お客様に嘘をつきたくない。というか、テレオペ全員思ってるはずだ。誰も嘘のアナウンスなんてしたくない。
本当の事を伝えて、企業側の大変さをしっかり説明すれば、もっと良い会社になれるのに、残念で仕方がない。
完全に力関係で、
クライアント>>>>>>>>>>>>僕たち
だったから。
もう一つ僕が面白くなくなった要因として、
追加注文は増えるが、金額は安くしろ
という事態も、同時進行していて、毎年契約更新する際に営業が値切られて困っているという相談が、回って来ていたから。あまりにも不条理だ。
時代は急速に変化してきた。Wi-Fiが出始めた頃は、しばらくその案件ばかりだった気がするし、資料もツールも使いにくいし見にくかったよ?
ねぇ、聞いてる?仕事しにくかったんだよ?オタクの窓口。😂
#一体それは誰に言っているんだ
下請け会社とクライアントの間には、こういう表からは見えない攻防が、日々行われている。
これが辞めた理由だったが、クライアントがもっと寄り添ってくれていたら、今でも現役だったかも知れない。
だけど、人間らしく生きる道をキッカケをいただいたと思って、裏側の最前線で仕事ができたことは、貴重な機会と出会いに感謝しかない。
だから、すぐには辞めなかった。
辞めることは決めたが、すぐ辞めると残された人達が困るだろうし、混乱を招くだろうから辞める月になるまで、裏で準備しながら公表しなかった。
恩返しと辞める移行準備の期間として、半年いただいた。
いや、違う。ココは流石にそんな美談じゃない。
素直にどうせならボーナスを貰って辞めようと思ったんだった。
#現金なヤツ
ノープランで辞めたので、ひとまずお金はあるにはあって困らないだろうから。
沢山の方から、お礼の品や寄せ書きを貰ったり、QUOカードやら、メッセージカードやら、いっぱいいただいた。
でも、最近になって後から聞いた話で1番嬉しかったのは、僕が辞めた後にクライアントの所に出向して地元に帰って来た子と会った時に、
「ジーコさんが辞めた後に、ジーコは本当良かったよってお客さんが名指しで褒めてましたよ!」
と、クライアントのお偉いさんが言っていたらしい。影で言われるのが1番嬉しい。素直に嬉しい。
当時の部長さん、無事に玄界灘に釣りに行く機会はあっただろうか??
と、懐かしみながら、僕は兄の外仕事を右も左も分からないままに、手伝うことになる。
ここまでが、僕のコールセンター経験から、
現場職人になるまでの過程の話。
まだ少し書き留めておきたいサイドストーリーがあるので、いつかどこかで必ず書く。
予告だけしておくと、
『アスペルガー症候群の激しめの方とmixiのDMで本音で語り合った話』というのがある。
次回は、『職人としてのデビューが瓦屋さんだった話』を書く予定。
p.s.
長文へのお付き合い、お疲れ様でした。
花粉が酷いです、寒暖差も激しいです。
お体ご自愛ください。
好きです。
またねー👋