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縁切り神社にお参りした時の話
最初に
これはもう去年の話。
僕は今年の2月に離婚している。
ここだけ切り取ってしまうと
非常に聞こえが悪い。
まさか、家族との縁切りを願いに
行ったのかと思うかも知れない。
でも、そうじゃない。
この縁切りに込めた僕の本当の想いを
最後まで聞いてもらいたい。
そして、かなりの確率で、
縁切りのお参りは、本当に叶う。
(願い方を履き違えなければ)
それが経験から言える1つの答え。
縁切り神社とは
あまり詳細を書くつもりはないが、
嘘は書けないので本当のことだけを書く。
正確に言うと、『縁切り神社』
という名称ではない。
福岡県のとある団地の一角に、
『野芥縁切地蔵尊』様が祀られている
とても小さな社がある。
縁切りが成就すると知っている人の間では
かなり県内では有名な地蔵尊様らしい。
だが、通常縁結びは願いに言っても、
そうそう縁切りのお参りをすることは少ない。
なのになぜ、僕はそんな行動に出たのか。
何もかもボロボロだった僕
当時の状況を簡単に書き出すとこんな感じ。
・仕事の人間関係が最悪
・家庭の人間関係が最悪(ほぼ一方的に僕が悪い)
・常にストレスフルな環境
・自分の居場所がない
・相談相手もいない(いるけど他人を巻き込みたくない)
・こんな環境で100日チャレンジをした
ただの馬鹿としか、自分でも言いようがない。
当時は、どんな手段を使ってでも周囲の仕事関係者の方々を
一人も失なってはならない、という使命感に支配されていた。
分かっていた。
僕がやらなきゃ誰もやらない。
そのため、関係修復のための人付き合いに
とことん時間を費やした。
縁切りの願いを込めたのは、ちょうどこの頃だったと思う。
仕事の帰りが遅くなるとも、残業であるとも、
何もコミュニケーションを取らず、
僕は往復約3時間かけて、黙ってお参りに行った。
(黙っててごめんよ)
藁をもすがる思い
困った時は、神頼み。
とは、よく言ったものだと思う。
まさか、自分がそんなことに全身全霊をかけて
願いを込めることになろうとは、
思いもしなかった。
実は、この地蔵尊様、
お願いをするにあたり、
願いを紙に書き封筒に入れて奉納する。
(社の中に押しピンが沢山あり、空いている所に刺して奉納)
この時、僕が本当に願おうとしたこと。
「〇〇 〇〇(人間関係ブレイカー)との縁が切れますように」
※〇〇は元妻や家族ではない
僕は車の中で願いを紙に書こうとした。
いざ手を動かそうとすると、
ふと頭をよぎる別の思いが交錯する。
『本当に人との縁切りなんて願って許されるのか?』
『直接そう願ってそれが本当になってしまったら…?』
『願い方が違う気がする…。』
試してダメだったらあきらめようと思えた願いが1つだけ浮かんだ。
そうだ。僕らしく馬鹿馬鹿しいけど、
あえて縁切りの神様に良縁を願うという選択肢が生まれた。
そこで、僕が本当に書いた願い事がコレ。
『僕に関わる全ての人の周囲との悪縁が切れ、良縁に囲まれますように。』
僕は本当にこの願い事を書いて奉納した。
人との縁を切る願いなんて、
最初から出来なかったらしい。
自分らしく願うなら、これしか方法が無かった。
縁切りと思わせて良縁を願う。
これが、僕が縁切り地蔵尊様にお願いしたこと。
結局こういうトリッキーな願いが、
何気に一番効果あるんじゃないかって、
勝手にそう思い込んでいる。(笑)