見出し画像

起き上がりたいんだ、へるぷ。

 ゆりかごの中で眠っている。目は閉じているみたいだった。天井が真っ白で、周りが木枠で囲われている。木枠に手を伸ばして握る。まずは柔らかくこれがなんなのか観察でもするみたいに。そしてぎゅっと力を込めて。木枠は温かくも冷たくもなかった。加工されたその木材は地面から生えている木とはまったく違う存在に思えた。それは木としては死んでしまっているように思えた。何も言わずにただ形状を保っている。腐ってもいないし、汚れてもいない。綺麗に磨き上げられて、ツルッとしている。そうか、と思った。もうここから出ていかなくてはいけないんだ。

 森の中を歩いていると一本の木が途中からポッキリ折れていた。随分大きな木だったので道を塞ぐ形になっていた。折れた木の中で蟻が何匹が動いている。木の面を撫でる。そしてゆっくりと折れ目に向かって手を動かして行く。まず悲しみが押し寄せる。次に弔おうと思う。そしてその内側から新しい命が芽吹き始める。そして元あったはずの魂はすでにどこかに行ってしまったことに気がつく。もうここにはいない。遠いどこかへ宿主は消えてしまったみたいだった。宿主が残した悲しみだったのかもしれない。森は悲しみを受け入れるし、そのことを悲しみだと思ってはいない。ただそういうものが根元を通して単に通過していくのだ。僕の体は木みたいなものだと思う。僕の中をあらゆるものが通過して行く。声、言葉、そして情念。どれもこれもが何かしらの痕跡を残しながら通り過ぎていく。もっと上手に通り抜けてくれればいいのにと思う。いつも何かしらを残して行く。もしかしてマーキングでもしているのか?と思い始める。だとしたらその上からおしっこをかけなくちゃならないかもしれない。マーキングの上塗り。だけどそうではなくその残っているもの、付着した感覚を改めて確かめる。ひとつひとつ。どこに何があって、あそこにあれがしまってある。そんなことはすぐに忘れてしまうから、手探りでひとつひとつ丁寧に、何か微細な変化はないものかと集中しながら触れていく。その時にはもう森は抜けているみたいだった。土の中に手を入れてそこにあるであろう動きを観察している。僕は一人で黙々とその作業をする。森を抜けることができた。意図せず、あの折れてしまった木はその道しるべだった。あるいは魂に乗って出てきたのだ。

 森を抜けている最中のことを覚えている。四つん這いになって歩いていた。狭いトンネルをくぐっている。出口の光は見えているのでなにも怖いことではなかった。ただそこを通過することに意味があった。ただ通過する。それがこの場で重要なことだった。そこに象徴的な意味を持ち出さなくていい。その時の好奇心とただ体がそんな風に動きだしたのだ。狭いトンネルを抜けるのにそんなに時間はかからなかった。ほんの数秒。とてもとても長い数秒間。

 僕たちは通過し合う生き物であって、時折そこに挟まってしまったりする。あるいは通過した者が意図せずも何かをそこに残していったりもする。わたしとあなたにあるなんらかの共鳴を響きとして置いて行く。それを元にまた1日が始まる。なんだか悪くない人生だなと思う。どこかしこに何らかのきっかけみたいなものは転がっていたりする。なんでもない生活ややりとりの中に、何らかの感触や響きを残して。

 いくつもの森がどこかしこに広がっている。入り口は示されていない。そこを通過するために用いるものは自分の体に起こる感覚と想像力なのだ。感覚と想像力がそこに道を作る。道と言って道を想像してはいけない。それは行き止まりだし、その先に進むための停留所でもある。

 ここから起き上がらなくてはいけないと思う。ゆりかごから出て動き出さなくてはいけないと思う。なんとか体を動かして起き上がろうとする。楽に起き上がれる方法はないかと考える。起き上がることが面倒であることに気がつく。とてもめんどくさい。口に出して何度も唱えてみる。とてもめんどくさい。とてもめんどくさい。そして手を伸ばす。へるぷ、へるぷ。言葉を見つける。とてもめんどくさいのではなく、へるぷ、へるぷ。起き上がりたいんだ、へるぷ。

読んでいただき、応援していただきありがとうございます。