スタンドアローンブリュワリーに文脈は必要か
おはようございます。移動中の新幹線にて、前回のハイパーローカル化するブリュワリーの思考の続き。
最近、国内の全ブリュワリーを色々調べていくうちにハイパーローカル化について考えたわけなんですが、この流れが続くと業界的にどういう状態になるのか。
弊社なんかその類なんですが、ブリューパブで飲食も一緒にやってるとそもそもブリューイング事業もあんまり業界と関わらずに成り立っていくんですね。
それをスタンドアローンブリュワリーと呼ぶとなんかチュウニっぽくて、一匹狼というとバカみたいなので、最近思いついた名前がノラ(野良)ブリュワリーです。悪意はありませんが自分的にはしっくりきてます。笑
ノラブリュワリーが増えてきてるなと思ってます。
ハイパーローカル化とも違うんですが、新興のブリュワリーの一覧とかを見てると、このブリュワリーというかブリュワーって、どこで修行してた人なんかな?とか、どういう経緯で独立しはったんかな?全然知らんし分からんし、誰かに聞いてもよくわからない正体不明なブリュワリーがものすごい増えてる気がしてます。
実際はきっと色々な背景や経緯があるんでしょうが、業界のコミュニティにアクセスしてない人たち。
私自身もそうと言えばそうなんですが、実は大阪のクニノチョーで修行してましたしそれなりに発信しようかなとは思ってます。
で何が言いたいかというと、そういうノラブリュワリーの中でもかなり面白いことしてたりイイ仕事してたりするところはあって、人知れず刹那的に消費されてる。
それが業界にとって実はもったいないことなんじゃないかと。
まだまだ業界が未熟な証拠かなとも思うんですが、日本のクラフトビール産業がどういう歴史でどういう経緯でどんな思想で成長してきたのかという記録がない。
それぞれのブリュワリーの系譜や立ち位置を明確にして自分たちの立ち位置を表明すれば、同じことをやってても、それが単発の刹那的消費なのか文脈の中の一節なのか変わってくるはず。
そうすることで起こりえる批評や議論が、業界全体の成長につながる。
ノラブリュワリーがダメって言ってるんでもなく、今までの業界の方々がダメと言うつもりも毛頭ないんですが、そろそろ真っ当なメディアやジャーナリズムが日本のクラフトビールシーンにも必要なんじゃないかと。
ノラブリュワリーが自覚なく取り組んでることを記事に取り上げて、議論の場にアクセスさせる。
ノラブリュワリー自身も成長できるし、業界にとってもメリットがあるはず。
広告記事やファンクラブ会報も必要だけど、取材や事実に基づいたジャーナリズムがそろそろ欲しい。
私自身もノラブリュワリーとして反省すべきことも多いなと思ってます。
今では他の事業者さんをサポートするようになって見えてきたことも多い。
他業界の方との話の中で、ノラブリュワリーについて考えが整理できて、今まで自分がなんで色んな人と衝突してきたのか理解できたという。笑
モノづくりには思想や伝統があってこそ、進化がある。
それもなしにただ売れるから作れと言われて作るもんじゃない。
なぜ今そこでだれにむけてなんのためになにをどうやってつくるのか。
ノラブリュワリーにも文脈は必要なのだ。
ハイパーローカル化が進めばノラブリュワリーは増えていく。
その時ジャーナリズムが役割を果たせば業界にとって良いカオスがそこに生まれる。
プラットフォームとも違うのがまた面白い。