見出し画像

0(ゼロ)の哲学と2元的世界

私の母は、私が学生時代に他界した。

すごく裕福な家庭ではなかったけど、平和で幸せな家族だったと思います。しかし、母に病魔が襲う。半年の入院で他界した。ショックで涙も出なかったのを今でも覚えています。

そんな時、何か不思議な感覚に囚われたのを記憶してます。それは、小宇宙を自分の中に感じたということ。説明は難しいですが自分の中に宇宙があって、何かその中には過去も現在も未来もあってというような感覚です。残念ながら今はそれを感じることはありませんが。。。

その時明確に思ったことがあります。それは

すべては、0(ゼロ)に収束される

ということでした。

私たち人間も、男と女があるように、すべては同じようにバランスする対称が存在するってこと。この世界は二元性の世界なのです。もしそのバランスが崩れたなら、それを取り戻そうとする力が働くってことです。

それを私は、「0の哲学」って呼んでいました。

その時はスピリチュアルな知識もありませんでしたし、そんなことを周りで言っていた人もいなかったので、変なヤツって思われたいたのではないかって思います。でも母が死んだその時期に、本当にそんなことをひらめいてしまったんです。

それ以来、何かのできごとがあるとその対極、相手、バランスさせる対称を探すことが多くなりましたね。たとえば、風邪をひいいたとします。

ああ、風邪か、やだな〜、早く治したいな〜、薬、飲もっと。

って、普通だったら思いますね。

でも、私の場合は、この風邪を引かせた原因、バランスを崩した原因があるはずと考えるのです。だから、薬も基本的には飲みません。生活の仕方や考え方でバランスを崩していただろうことを元に戻せば、風邪も消えると考えているからです。ちなみに私はインフルエンザの予防接種は小学校以来やったことがありませんが、一度もかかったことがありません。また子供がとなりでインフルエンザでもかからない。うっそーー、って?本当の話です。つまり、バランスを崩していない限り、インフルエンザが入る余地がないのです。

対極的に見れば、コロちゃんや台風なども起こった原因つまり、このバランスをとる相手が必ずいます。もちろん、個人で罹患しまった人もどこかバランスを必ず崩しているのです。台風も日本の国をお掃除するためにやってくると考えたほうが自然です。私たち文明が行きすぎているなら、ある種バランスを崩しているなら、こらからも次々に牙をむいた台風が襲ってくるに違いありません。

コロちゃんに襲われるかもしれない。そんな恐怖という想念を皆さんが発するならば、台風や地震などを引き寄せてしまいます。そう、バランスをとろうとして。反対にコロちゃん、いろいろ気づかせてくれてありがとうということになれば、罹患することもありませんし、人類の集合意識が愛やありがとうに傾けば、スペイン風邪のように、急にピタッとこの地球から姿を消すことになると考えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?