【イトナミコラム号外】第1回イトナミツアー諏訪編 その2
ぞんざいに扱われる石棒や双対道祖神と歌舞伎町トーヨコのバーニング跡地からミシャグジの発生の根本原理をなんとなく掴みかけた前回。
このあたりからさらに諏訪ツアーは深まっていき、古代人のものづくり思想が確実に自分の中にラーニングされていくことを実感していった。
瀬神社を後にした我々は、あらたなミシャグジに会いに向かった。
言うまでもないことだと思うが、ミシャグジや神は現実には存在しない。これらは私たちの脳内に共通概念として発生するように法則性を持って仕向けられたものである。
梅干しやレモンを想像した時に唾液が出るように、プロレスを見た人々がみんな興奮するように、古代人は人々の意識に同様の効果を与えるために、アナロジー的な造形や儀式を利用して、人々にメッセージを与えていた。
このように具体と抽象、現実と概念を自在に出し入れして、頭の中に浮かんだこと現実に表現することは、ものづくりをする人間にとって大きな武器になるはずだ。思想を形にすることに意味があると信じている。
◎茅野市 瀬神社周辺
◎北大塩の接吻道祖神
◎諏訪市豊田 町屋周辺のお散歩
◎塩尻のミシャグジ 耳塚様
◎小野神社・矢彦神社
2つの大きい神社が併設されている珍しい神社。
いままで石棒と丸石、男と女の双対道祖神など、矛盾が同一になるミシャグジ発生原理の形をみてきた。
それを踏まえると、小野神社と矢彦神社の配置図は矛盾が同一になるミシャグジ発生の仕組み(縁起儀礼)を有しているように見える。
祭儀の際には、2つの神社の中心地であるおぼこさまに、サナギ鉾が立てられたという。
小野神社と矢彦神社という矛盾がサナギのなかでミシャグジか縁起により溶かされ、同一となって新たな存在として生まれてくる。生まれてくるものは子供(未来)であり水(米)なのだろう。
普段は小野と矢彦は対立構造となって切磋琢磨している。しかし祭儀のときには互いに一つになり未来を創造する。諏訪大社の上社と下社の関係にも似ている。ミシャグジの発生原理をベースとしてこの2つの神社の仕組みができあがったように感じる。
矢彦神社と小野神社は互いにエントロピーとアンチエントロピーとして拮抗してイトナミを造っていた。ものづくりをする際にはその中に矛盾を忍ばせておく。これはかなり奥義だろう(→水母)。
◎イトナミツアー諏訪編 1日目終了 直会
分刻みのスケジュールをこなし、存分に諏訪を体感して古代人の思想に想いを巡らせた。古代人に習って、今度は私たちがミシャグジを降臨させ、私という個を溶かして同一(群れ)になる番だ。
それにはどうしたらいいか?人間は概念を共有すると群れになる。
諏訪という概念を共有し、一緒に酒を飲めばミシャグジは現れる。
温泉で有名な下諏訪で30分足らずの入浴を済ませて飲む。
イトナミツアー諏訪編 2日目 その3へと続く。