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余命1年だった

母がステージ4の大腸がんであると知ったのは先週の事だった。

2年ほど前から胃腸の不調を訴えていたが、父が間質性肺炎と弁膜症を患い、その看病をするうちに世の中をコロナという不安が覆った。母は元来病院が嫌いな性格ではあったが、コロナが益々病院から母を退けた。

母の癌は肺と肝臓・リンパ節に転移しており、医師からは手術は不可能である事を告げられた「らしい」。「らしい」というのは、私はその場所には同席しなかった。母のがん告知を一緒に聞いてくれたのは、弟の奥さんだった。仕事を休もうと思えば休める環境であったが、私はどうしても同席したくなかった。正確には同席して取り乱す所を見せたくなかった。

母は自ら医師に「どれ位生きられますか?」と聞き、医師は「抗がん剤が効いて大腸癌を切除できるとして1年から3年程度。」と答えてくれたそうだ。私はこの医師が母の命の期限を1年としてくれた事を今、とても感謝している。

72歳の母は「余命1年のおばあちゃん」になってしまった。翌週から早速入院して治療方針を決めてく事になった。

入院当日、母に付き添ったのは母の家の近くに住む弟夫婦だった。3日程度の入院だし、私は車で2時間近く離れた場所に住んでいるため、わざわざ見送る必要は無いだろうと思っていた。ところがその日に見送りを終えた弟からの連絡で情報は一変した。

「余命1カ月」

余命1年と宣告されて1週間で、余命は1カ月へと短縮されてしまった。余命1年の悲しみをやっと乗り越えて「今できる事を精一杯やろう」と決めた途端に「できる事」なんて殆ど無くなり、私は新たな悲しみや口惜しさを抱える事になった。

今日からノートを母と私の記録として続けていこうと思う。


これを書いたのが2021年7月20日だった。
母は2021年の9月20日に亡くなった。
この日記の後に何も書けなかったのは、母の命は流れ星の様に瞬きの間に消えてしまったからだ。
この日記を書いてすぐ、私は仕事を辞めた。
母からのLINEを返す為に辞めた。
辞めた事に後悔は無い。
かつて、長くて読む気にならないと既読さえ付かなかった母のライン。
たった一言を、携帯を握りしめて待ち続け即返信する事だけが、あの頃の私の支えだった。

もうすぐ2年経つが、私は母の事に関して冷静に物を書く事が出来ないでいる。

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