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かめちゃんの縁つなぎ

 まったく、もう!
 小学校の帰りみち、加藤芽花(かとう・めいか)は怒っていた。
 咲田くんへの芽花の想いを同級生の彩奈が言いふらしたことに、いきどおりを禁じ得なかった。
 そして隣のクラスの咲田くんは放課後廊下で、芽花と合った視線をためらいがちに逸らした。いつもの和やかな笑顔を見られないだけで、そこから芽花が逃げだすには充分だった。

 恥ずかしいやら悲しいやら、いろんな気持ちの混じった足取りで、学校裏手の石段を芽花は下りる。その先は坂道になり、五月の白い光がちらちら木の葉とゆれていた。
 こんなはずじゃなかったのにと、思わず口も尖ってしまう。五年生のクラス替えで別学級になってからも仲良く会話できていただけに、今回の件はダメージが大きい。
 何年もずっと好きでいる咲田くんと必ず両想いになれるとか、付き合ったりできるとか、保証があるわけでは決してない。そこまで確信するほど芽花も自信家ではなかった。
 でも他の子からの横槍で自分のあこがれをジャマされるのは、涙が出そうなほど悔しい。いたずら気質な彩奈に対するやり場のない怒りから、芽花は握りこぶしを頭上でぶんぶん振り回すほかないのだった。

 今後また咲田くんと仲良く過ごせるだろうかと不安になった芽花は、帰り道を右に曲がって深大寺本堂へ向かった。この近場のお寺が縁結びのご利益で有名なことを、芽花は知っている。
 しかも伝説によれば、縁をつないでくれる動物は亀。学校でのあだ名がフルネームを略して〝かめちゃん〟(〝か〟とう〝め〟いか。学年に加藤が九人いる)である彼女は、親近感を感じてしまうのだ。お賽銭は奮発しよう。
 階段を駆け上がり、山門をぬけて境内に入る。手水舎のわきを通りかかったとき――。

 ふと背の低い水盤の底で、きらりと何かが光るのを芽花は見た。
 あれっ? 気になって覗き込んだ水底に沈んでいるのは、白銀の指輪。
 芽花はかがんで指輪を拾い上げる。濡れて光る指輪は控えめな宝石で飾られ、内側に細かなアルファベットが刻まれていた。小さめのサイズで、ペアリングの女性側のように思えた。
 すぐさま芽花の頭には想像が膨らむ。きっと指輪の持ち主は、けわしい恋路を歩んでいるのだろう。周囲から反対されて泣く泣くあきらめ、婚約指輪を手放したに違いない。
 自分の恋心と重ねて半分本気、半分大げさにそんな妄想を浮かべていると、使命感が湧いてきた。恋愛で悲しい思いをしている人がいるならば、励まさなくては! そして恋をあきらめなくて良いのだと、応援せねば。恋のご縁に一家言あり、縁結びのかめちゃんを自称する(してない)身であるならば。
 指輪を握りしめ、芽花は振り向いた。視線の先にはご朱印帳やおみくじの売店がある。駆け寄って売店のお姉さんに声をかけ、手水に落ちていた指輪について訊ねてみる。
「すみません! 誰かあそこで、この指輪を落としていきませんでしたか?」
「わからないねぇ……。ああでもさっきまで、手水舎の前で何分間もぼんやり立ってる若い子がいたよ。後ろ姿しか見てないけど、明るくて赤っぽい髪の長い子でねぇ」
「ほんとう!? どっちに行きました?」
「あっちだよ」お姉さんは元三大師堂の方を指さした。時間が経っていないなら、走っていけば追いつくだろう。親切なお姉さんにお礼を述べ、芽花は駆けだした。

 そこら中を走り回ったが見つからない。しかし息を切らしながら辿り着いた神代植物公園の深大寺門前で、今度は受付のおじさんが教えてくれた。
「赤くて長い髪の人なら、先ほど入られましたよ」
「ありがとう、追いかけてるの!」
 丁寧な受け答えのおじさんを後目に、芽花は園内へ駆け込んだ。小学生以下が無料で入場できることも、芽花は知っているのだった。
 春のバラフェスタが開催され、ほかにも色とりどりの花、もしくは明るい緑の草木できれいに彩られた園内を、芽花は一心に探し回った。その甲斐あって、ついに目的の人物を発見する。
 つつじ園の近く、池のそばにあるベンチに腰掛けていたのだ。色はオレンジレッドとでもいうような背中までの髪をなびかせ、物憂げにうつむいている。
「こんにちは!」と芽花は元気よく声をかけた。そして顔を上げたその人は、細面の中性的な顔立ちで、若くて繊細そうな――だが確かに男性だった。
 目の下に涙の跡を残した男性は、驚いた顔の芽花を不思議そうに見返してくる。女性と思い込んでいたことは恥ずかしいが、芽花は気を取り直して指輪を差し出し、たずねた。
「あの、これ、お兄さんが落としましたか……?」
 ふ、と微笑んでお兄さんは、ハスキーな声で言葉を返した。
「うん、拾ってくれてありがとう。でも、捨ててきたんだ」
「……どうして?」
 問いかけつつ、同じベンチの隣に芽花は腰かけた。女性であれ男性であれ、心の傷ついた様子の人を前にして、放っておけないと思ったからだ。「僕と彼女は結婚を約束しててね。まあそれも、つまらない原因の言い争いで台無しになったんだけど……」

 お兄さんがとつとつと語りはじめた話によると、ふたりが揉めたのは結婚後の苗字のことだ。彼女さんがひとりっ子であるため当初ふたりは、お兄さんが彼女さんの苗字へ変わることに決めていた。お兄さん自身も特にこだわりはなく、それで良いと思っていたのだという。
 ただ心にチクチクと刺さってきたのは、家族や友人、同僚たちに打ち明けたときの、『お前が苗字を変えるのか』という意外そうな反応だった。
 芽花も感覚として知っている通り、今の日本では大抵の結婚で、男性の苗字に女性が変わるのが慣例だ。固執するつもりのなかったお兄さんも、段々と自分が損をしているような気分になったという。
 そして入籍の直前、役所や勤め先、銀行、クレジットカード会社などの手続きについて調べ、若干うんざりしていたときに、彼女さんと口論をしてしまったのだ。
 きっかけは些細な内容だったが、『苗字だって俺が変えるのに』と口火を切った言い争いがエスカレートして、昨日からまともに会話もできていないのだという。

 反省してる、とお兄さんは言った。彼女を傷つけてしまった、とも。
「彼女じゃなくて結婚の決まり事が不満なんだから、素直に話せれば良かったのにさ……」
 落ち込むお兄さんを、芽花は励ましたかった。口ゲンカをしてしまったとはいえ、自分の力ではどうしようもない原因で恋にくじける人を見るのはつらかった。
「大丈夫、きっと仲直りできるよ。彼女さんに連絡してみよう?」
「でも何度もメッセージ送ってるけど返事ないし……」
「むむ」
 芽花はお兄さんに同情していたが同時に、もっとしっかりしてほしいとも思う。おそらく芽花の二倍の年月は生きているお兄さんなのだ。
「……そうじゃない。つまづくことがあっても、あきらめないでほしいの」
 現実が理不尽でも、勇気をもって乗り越えたり、立ち向かうこと。それはお兄さんにも、芽花自身にも大事なことだと思えた。
 正面から顔を覗き込まれ、お兄さんはたじろいだようだ。その目を見つめ、芽花は意気込んでこぶしを握った。胸の奥から自然と、率直な言葉が湧いてくる。
「恋を叶えるのは、今なんだから!」
「恋を叶えるのは、今……」
 つい口走った言葉はCMでもめずらしいような直球のセリフで、芽花は自分の顔が赤くなるのを感じた。でもその思いの丈は、少なからずお兄さんの心を動かしたようだった。
「……そうかもね」
 きゅっと口角を引き締めて笑い、お兄さんはスマートフォンで電話をかけた。そして今度こそ、相手につながったようだ。
「うん、俺。昨日は、ごめん。……うん、うん、神代植物公園にいる。
 ――え? そう? じゃあ待ってる。深大寺門に来て」
 彼は通話を切った。そのとなりで芽花は興奮気味に、握ったままの両手を上下にシェイクしていた。
「彼女は水生植物園にいるって。合流してバラを見に行くよ。……この公園、初めてデートしたコースなんだ」
 うんうん、と芽花は頷いた。きらりと光る指輪を、お兄さんに差し出す。「ありがとう。ちゃんと話し合ってみる」
「……がんばって!」

 おじゃまになる前にお兄さんと別れて、芽花は正門から植物公園を出た。深大寺の〝かめちゃん〟として、カップルの縁をつなぎ留める役目が果たせたのでは? と気分が高揚していた。
「――恋を叶えるのは、今」
 自分が口にした言葉を反芻する。誰かの恋を後押しできたことを、嬉しく思う。
 咲田くんのことを考えてみる。もはや不安は吹き飛んで、にやける頬を押さえつける。
 傷ついた心はすっかり大丈夫だ。あきらめないで踏み出すことを、芽花は胸に誓うのだった。

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